Watchtower Classic Library
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忠実にしてさとい奴隷と共に目ざめ続ける[]

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現代の奇跡[]

 ⑤一九一九年から一九三一年まで、真理の水の流れは、主として油そそがれた残れる者だけに影響しました。さらに多くの油注がれた者たちは一九七年および一九一八年に去った者たちの空位をみたすために召されました。彼らも霊的に元気づけられ、将来の大きなわざをするための力を受けました。しかし、特にエホバの裁きを忠実に言明することにより、彼らは全世界にわたる巨大な収穫のわざを準備していました。それで、「奴隷」級の目ざめている残れる者以外の他の人々は、一九三一年までみな霊的に眠っていました。彼らはみなハルマゲドンの滅びにむかい、死にむかって進んでいました。一九三一年までには、カトリック、新教徒、およびユダヤ教の牧師は、一九一四年以前よりも、はるかに深い霊的な眠りに落ち入って、いびきをかいていました。彼らのあいだには、目ざめていた見張り人はひとりもいませんでした。

 ⑥エゼキエル四七章には、現代の奇跡が預言的に述べられています。エホバの愛にみちる先見によると、エホバは地上の事柄をあやつって「大いなる群衆」が霊的な復活を経験するように取りはからいました。(黙示、七ノ九。コロサイ、二ノ一三)一九一八年には、その時以前に死んだ油注がれた者たちが天的な復活をうけました。その後に、地上の残れる者が目ざめることは神の御こころでした。(黙示、一一ノ一八)しかし、大勢の者たちは死に向かっていたサタンの古い世のなかで、死のごとき環境にしばりつけられ、その悪い状態については何もしていませんでした。しかし、一九三一年後に始まったこの現代の奇跡により、エホバは彼らの目を次第に開かせて実情を見させました。すなわち、キリスト教国は神とキリストにはかられて、その目方の足らないことが示され、この世と霊的な淫行を行なっている罪を持つものとして排斥された、ことが示されたのです。(ヤコブ、四ノ四)そのような者たちはその目の焦点を合わせて、十分に目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」の残れる者と、その伝道のわざの意義を認識し始めました。この現代の奇跡の詳細は、どんなものですか。

 ⑦今エゼキエル書四七章の聖書預言のテレビジョンにスイッチを入れて、現代における預言の成就を目のあたりに見ることにしましょう。私たちが黙示録二二章について考慮したばかりの大きなまぼろしを見ます。再び、真理の水の「川」が、エホバの霊的な宮から出て、東の方に流れて行くのが見えます。この水は、一九一九年に復興した「奴隷」級の径路を通って流れ始めます。この「川」が東

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の方に向かって流れ、大きな光のさす方向にむかって流れているのに気をつけて下さい。その意味することは、一九一九年後の協会の真理の出版物は、年月がたつにつれて、真理の中に進歩するということです。エゼキエルは、千キュビトごとに、この川の深さについて定期的に調べています。この川は、最初は足くびの深さで、次は膝までの深さ、それから腰までの深さとなり、そして遂には非常に深くなったため、横ぎりたいと思うなら、泳ぐことが必要でした。---エゼキエル、四七ノ一-五。

 ⑧それで、この預言の成就しているいまの末の日に、三年目ごとに行なった定期的な検査は、ものみの塔協会の出版した真理の水の霊的な深さと明晰(めいせき)さが、だんだん増し加わることを示しています。一九一九年に出版されたいわばわずかな流れは、一九二二年までは「くるぶし」の深さで、一九二五までには霊的さとまぼろしが増し加わり、一九二八年までには大洪水のごとき新しい光が出版され、一九三一年までには聖書的な啓示は圧倒的な流れのようになりました。*[原註:「神の目的とエホバの証者」(英文)にある「拡大した施設を用いて国民に自由を出版する」と題する章を見て下さい。]一九三一年から一九四五年までのうちにカトリック行動ファシスト--ナチの勢力は、この強力な真理の「水」を抑えることができない、ということを知りました。そうです、エホバの証者は真理の水で強められたため、迫害をうけても負かされることがなく、伝道を中止しなかったのです。--黙示、一二ノ一五、一六。

 ⑨次に、この「川」にも、その流れの両側に「木」があるのが見えます。この「木」は、毎月新しい実を結びます。そしてその葉はいやしのために供給されます。これはすでに調べた黙示録の光景と同じであり、木のような各個人の残れる者に適用します。これらの者たちは、径路の制度と共に伝道の奉仕を忠実に行な

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❺➏(イ)一九一九年から一九三一年までの真理の流れによって何が影響されたかを述べなさい。(ロ)どんな種類の奇跡は、ある人々のために用意されていましたか。      ❼今日に適用される際のエゼキエル四七章一--一二節は何を示しますか。       ❽川のいくつかの段階においての調査は今日何を意味しますか。       ➒❿(イ)エゼキエル書四七章七、一二節を読んで説明しなさい。 (ロ)死海は何を象徴しますか。

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い、諸国民に霊的ないやしをもたらします。(エゼキエル、四七ノ七、一二)しかし、現代の奇跡はどのようになされていますか。

 ⑩御国の真理の清い水には生命を与える益があります。神の御心は、この清い水の強力な流れを、どこにみちびきますか。わたしたちの聖書預言のテレビジョンには、エホバ神がこの川を(古代のエルサレムの宮があったところから)東に流れさせて、死海に注がせたのです。実際の死海には、一匹の魚も住んだことがありません。ところが、この実体的な死海に何が生ずるかを見てごらんなさい!この死海は、終りの時の期間中に大勢の人々に霊的な光線を見させない死のごとき環境を良く表わしています。サタンは彼らを捕らえて、かたい束縛の状態に保ちました。サタンは偽りの宗教により、大きな霊的な暗やみの中に彼らを閉じこめます。悪魔は、物質主義で彼らを忙がしくさせ、宣伝でもってあざむき、下級のものに専念させてはげしい生存競争をさせています。このように、目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」級以外の全人類は、一九三一年まで死んだと同じ霊的な眠りに閉じこめられていました。*[原註:「ハルマゲドンを生き残って神の新しい世へ」(英文)306頁から310頁までを見なさい。]

 ⑪奇跡中の奇跡として、エホバはいまこの真理の水の流れをみちびいて、この死海のごとき捕われの状態から善意者の「大いなる群衆」を開放します。一九三一年以来、「ものみの塔」は次第次第にラッパのごとき召しを油注がれた級でない者たちに向けて変え始めました。幾年かの年月が経つ中に、いまや四二以上にも達する預言が次から次に、明白な成就を示し、次のことをみな確証しています。すなわちエホバの証者の十分清められた大いなる群衆が、準備された新しい世の社会に入るようにエホバは戸を開かれた、ということです。**[「ハルマゲドンを生き残って神の新しい世へ」(英文)367頁、368頁を見なさい。]真理の水は、その世界的な環境にいやしをもたらし、そしてエホバの操られるままに個人的な環境は変化しました。宗教的な足かせはゆるめられました。世界のわざわいについての光は、御国の真理について考えている人々を以前の伝統的な束縛から自由に開放しました。その環境は住めることができるものになりました。それで、エゼキエルが示すように、多くの数の「魚」は生きるようになりました。この現代の奇跡が始まってから三〇年たたぬ中に、いまでは八五万以上の「生ける魚」が「奴隷」の級と共に活溌になっています。彼らは、その罪のうちに死んでいる古い世という生命のない要素から、またハルマゲドンにおける滅びという脅威から出てきて、神に対して生ける者となっています。---エゼキエル、四七ノ一、九。

 ⑫エホバの奇跡的な御手によって、これらの「魚」は生きるものになりまし

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た。それでは、これらの「魚」が自分自身で餌を求めることをエホバは許しますか。そのようなことはありません。次のテレビジョンの光景が示すところによると、エホバは「魚取り」の制度を設立して、食物を与えます。これは一般の経験とは全く反対です。なぜなら、魚は捕えられると人間の食物となるからです。しかし、この預言の中では、魚はとられてから養われ、生かされています。「すなどる者が、海(死海)のかたわらに立ち、エンゲデからエン・エグライまで、網を張る所となる。その魚は……はなはだ多い」。(エゼキエル、四七ノ一〇、新口)このことは、かつてイエスが弟子たちに告げた言葉をすぐに思い起こさせます、「わたしについてきなさい。あなたがたを人間をとする漁師にしてあげよう」。(マタイ、四ノ一九、新口)ほんとうに、網を持つ漁師は今日網のような制度を持つ油注がれた残れる者を良く表わしています。彼らは、前任者である使徒たちのごとく、同じ霊的な魚取りの仕事に基本的に専念しています。この組織化された手段により全地にわたって救いは施されています。一九三一年前では、食物は天的な「小さな群れ」の者だけに給されました。しかし一九三一年以来、救いの活動は世界的な規模で大々的に行なわれ、幾十万という人々を救いにみちびいています。生かされたこれらの「魚」は、キリスト・イエスの「他の羊」と同じです。(ヨハネ、一〇ノ一六)これらの「他の羊」は、残れる者の木ごとき各成員の「実」と「葉」に依存して、豊かに養われています。それで、ハルマゲドンのあらしを生きたまま通過し、その後でも保護をうけるのです。

……

⑬……

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⓫「川」の水がもたらすいやしを述べなさい。      ⓬目ざめている「魚」を生き続けさせるために、どんな取り極めが行なわれますか。       ⓭この「奴隷」級と共に目ざめつづける一つの道を述べなさい。

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………会衆の研究会に毎週出席することは、ぜひ必要です。研究の集会を一回かかすなら、その人は霊的に衰弱し、霊的にやせおとろえて弱い状態になります。そのような不注意な減食が続くなら、新しい世の社会の早い進歩と歩調をそろえるだけの強い者にはなれません。油をそそがれた残れる者は、指導者としてひとつの決意を持っています。それは、エホバの御心を行なってエホバの至上性を立証し、永遠の生命という賞を得ることです。「他の羊」に属する者であるあなたは、勝利を求めるこの強烈な疾走において、残れる者といっしょに旅行するだけ強くなれますか。食べることは生命を意味するものであると見なして、熱心に食べなさい。たしかに、それは生命を意味します。

 ⑭別のことは、神権的な道、仕方、および政策に従うことです。黙示録にはこう書かれています、「全能のエホバ神よ、あなたの御わざはまったく偉大ですばらしい。永遠の王よ、あなたの道は正しく真[まこと]である」。(黙示、十五ノ三、新世)私たちは、民主主義的な仕方や方法によっては、もはや制御されません。そのような道は、人間の意志を強調します。私たちが新しい世の社会にみちびかれるとき、私たちは神の御心を行なおうと決意しています。神の御心は、神の設け給うた「忠実にしてさとい奴隷」の指導を通して神権的に私たちのところへ来ます。

 ⑮第三に、わたしたちは制度内の割り当てられたところにとどまることによって、目ざめつづけることができます。「大いなる群衆」のものは、「忠実にしてさとい奴隷」をとおしてつくられた割り当てに対して、異議を申し立てたり、調節を加えようとしてはなりません。また、他の人に任命されている仕事をしようとしてもなりません。パウロは次のように書いています、「なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいない。(ロマ、一二ノ四、新口)それで、各人は自分に割り当てられた奉仕を行なうようにしましょう。もし、会衆の伝道者という立場であるなら、協会の指示に一致しつつ伝道奉仕を効果的に、そして熱心にしなさい。もし会衆内の僕であるなら、その仕事を正しく行うのは彼の義務です。もし、その人が正しく行なわないなら、人間の目に見えない監督を行なう御使いたちは、変化を必ず生じさせるようにするでしょう。イエスは、次のように語りました、「人の子はその使いたちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国から取り集め」る。--マタ

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イ。一三ノ四一、新口。

 ⑯また、私たちはものみの塔協会への奉仕と経済的な寄付により、目ざめつづけることができます。エホバは、この機関を通して、私たちに多くのことをされました。それにこたえ応ずる私たちの愛と感謝を示す最小限度のことは、全世界的な伝道のわざを拡大させるために金銭と時間を寄付することです。一九三一年前、残れる者が少数の時でも、彼らは協会のわざのために幾百万ドルも寄付しました。今では、「大いなる群衆」の者も、今日の協会の教育的なわざを世界的で最も重要なわざにすることに、よろこんで参加したいと思うにちがいありません。私たちの持つ時間と金銭という資力を物惜しみせずに寄付しましょう。エホバは、このわざが初期の段階であった時に油注がれた者の寄付を祝福しました。それで、今日の「他の羊」の寄付も、正義の人類に対する大きな祝福という結果になることはたしかです。--イザヤ、六〇ノ五、六。

 ⑰すべてのものに愛を示して、忠節な行いをすることにより、私たちは目ざめつづけることができます。天にあるエホバの制度は、愛によって特徴づけられています。同様に愛は地上にある新しい世の社会の顕著(けんちょ)な特徴です。愛があるからこそ、新しい世の社会は古い世とはなはだしくちがうのです。このことも、進歩的な「忠実にしてさとい奴隷」の大きな特徴です。………

 ⑱最後に、私たちは尊敬を払い、従順であることにより目ざめつづけることができます。私たちの知るごとく、エホバは、「忠実にしてさとい奴隷」のものみの塔協会を用いて、今日の地上の統治体にしています。ものみの塔協会は、わたしたちの尊敬と、最善の支持を受けるのにふさわしいものです。聖書には次の言[葉]がかかれています。「神の言葉をあなた方に語った指導者たちのことをいつも思い起こしなさい。彼らの生活を……見て、その信仰にならいなさい」。(ヘブル、一三

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⓮⓯目ざめた状態を保つもう二つの道を説明しなさい。      ⓰人の持つ資力については何をすることができますか。       ⓱⓲(イ)なぜ愛と忠節は、目ざめた状態を保つのに必要ですか。(ロ)尊敬と従順は、人が目ざめていることをどのように示しますか。

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ノ七、新口)時折り、円熟していない人々が協会の運営について、軽蔑的な言葉や、不注意な話、あるいは露骨な批評をすることがあります。そのようなことは、ハルマゲドン前のこの時代にエホバがご自分の御心を行なわせるためにすばらしい仕方で用い給う手段に対して全く尊敬を欠いていることを示します。たしかに、神の聖霊にみちびかれている協会は、私たちのいちばん深い尊敬と真心からの従順をうけるのにふさわしいものです。

 ⑲全く、「忠実にしてさとい奴隷」は、一九一四年の来ることに目ざめていました。一九四ニ年、間ちがえることのないエホバの確実な御霊でみちびかれた「忠実にしてさとい奴隷」は、民主主義諸国家が第二次大戦に勝利を得て、国際連合制度が設立されるであろう、と知らせました。*[原註:「平和それは永続するか」(英文)という冊子、ニ一、二二頁。]彼らは出来事について目ざめていました。なぜなら、それは三年後に確かに生じたからです。一九五八年の神の御心国際大会の時、ダニエルの預言について驚くべき事前の知らせが、すぐ将来に起こる出来事について与えられました。そのような霊的な先見の証拠は「御心が地に成るように」(英文)という本の中に記録されています。「忠実にしてさとい奴隷」は、ふたたび神を愛するすべての人々をみちびくために時勢に先がけて警戒を払っていたのです。たしかに現在の安全は、「忠実にしてさとい奴隷」とともに目ざめていることに依存しているのです。

 ⑳いま霊感の目的にみちる幸福な生活をするため、目ざめていなさい。神の御心を行なうことは、私たちを全く夢中にさせ、魅惑をそそるもので、私たちにとって最大の刺戟になります。以前の「死海」の状態に逆戻りしてはなりません。死んでいる魚、悪臭を放つ魚になってはなりません。しかし、生きた魚、霊的に健康な魚、そしてパウロが書いているように『キリストの知識のかおり』を持つ実体的な魚でありなさい。(コリント後、二ノ一五)あなたの伝道を聞こうとしない者たちを盲目の世界にのこし、あかりの消えた盲目の牧師に従わせなさい。目の見えないこうもりの方が、霊的に眠っている牧師よりも大きな知覚力を持っています。しかし、「大いなる群衆」にあなた方、および啓発をうけたいと願う他の者たちは、昼も夜もそのあかりをともしている目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」級に従いなさい。現在および将来の新しい世におけるあなたの幸福は、あなたが残れる者と共に働くことに依存するのです。イエスは、自分の霊的な兄弟たちである残れる者について、こう語りました、「あなたがた(『大いなる群衆』のもの)によく言っておく。私の兄弟であるこれらの小さい者のひ

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とりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」。--マタイ、二五ノ四〇。

 ㉑いま、よろこびと興隆のときにいる残れる者と共に目ざめつづけなさい。イエスは、この「忠実にしてさとい奴隷」にたいして、次のようなお賛(ほ)めの言葉を述べています。「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはごくわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。(マタイ、ニ五ノニ一、新口)残れる者と共に目ざめて忠実な御国奉仕を行ないなさい。残れる者と共に御国のよろこびを分かち合いなさい。それは大きな力をもたらします。永久に生きるため、キリストの下にある「忠実にしてさとい奴隷」と共に目ざめていなさい。

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⓳「忠実にしてさとい奴隷」は、どのように時勢より先がけていましたか。     ⓴㉑(イ)人は、いま霊感の目的にみちる生活を、どのように過ごすことができますか。(ロ)マタイ伝二五章ニ一節は、どのように適用しますか。それは、何を励ましていますか。

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神の目的とエホバの証者[]

第三章 チャールズ・テイズ・ラッセルは大きな影響を及ぼす決定を下す[]

 トム: あなたがたが去られてからこの一週間中、すっかり考え込んでしまいました。聖書の中でパウロや他の者たちのことを読むときには、その地位とか権限を認めるのはむずかしくありませんが、今日ひとりの人とかひとつの制度が神により用いられていると信ずるのはむずかしいですね。それはなぜでしょうか。

 ジョン: むずかしいわけはないのですが、神があるときに証者として用いる者たちは、別の時に神が用いた者といつも同じような者であった、ということを記憶して下さい。トムさん、何か特定なことをお考えですか。

 トム: そうですね。先週のあなたの話から使徒たちの時代から自由な世界の状態の必要が増したことが分りました。それは認めにくいものではありません。でも『これこそ正しい道である』と叫び始めた全部の叫び声については如何ですか。もし神がその中のどれかをご自分の証者として用いられたいと望まれた、とするなら、どうしてそのことが分りますか。お話しによると、シー・ティー・ラッセルは主の再臨を述べ伝えることに参加したということですが、他の者にまさって彼を選び出すのは、どんな理由によるのですか。

 ジョン: わざは祝福されてきました。それで今日では、一晩のうちにお話しできる以上の多くの理由があります。話を進めて行くうちに、あなたはきっと同意されることと信じます。しかし、ラッセル当時の人々も認めたように、証拠を求めていた人には十分の証拠がありました。全くのところ、その点は今晩お話しようと思っているところです。

 ロイス: すると、ラッセル氏がくだそうとしていた将来の行動についての重要な決定のことですか。

 ジョン: そうです。思い出されることでしょう。初期の群れの人々は、主として時間の計算だけに興味を持っていました。ところが、ラッセルはちがった考えを抱いたのです。確かに、彼は年若い者でしたが、どんな問題についても分析するという点で人並み以上でした。そして、キリストの再臨の目的は、日付を決めるよりも一層重要であると確信を持つに至りました。[:個人注:再来の日付よりも、その目的には:皆に真理を回復(:復興、提示)させる、現代の証言でも皆(みな)天に行くわけではない、天に行く人は14万4千人だと??!地球の運命はパラダイスだと??!地球が焼き尽きる訳では無いと??!柔和な者は幸いだ、地を受け継ぐと?!!(マタイ5:5)地球が焼き尽きたら、神の御意志が行なわれなくなると!?!:エデンのパラダイスに於いても神の目的の言葉は完結して発表せられており、地球全体に人が住まうように目的を持っておられると!?!:完結していて附属注釈(聖書を無にするものと??!)は無いと??!]

 ロイス: ジョンさん、ついでですが、ラッセル氏が研究を始めたときは幾歳でしたか。

 トム:(中断する)僕もそのことを尋ねたかった。ちょっとこの物語りを中断して、大切な統計をいくらか学ぶことはどうだろう。ラッセル氏のことを個人的に知ることは良いと思う。

シー・ティー・ラッセルの背景[]

 ジョン: それはたいへん良いことです。ラッセルが自分の宗教的な背景について真剣に考え、その基礎について質問し始めたのは、まだ十歳台の時でした。ここに、彼の伝記についての最初の節の言葉があります。それは、後日出版された人気のあった本「世々にわたる神の経綸」の序文に掲載されたものです。

 パストー(牧者)・ラッセルとして世界中に知られ、著者、講演者、および福音伝道者であったチャールス・テイズ・ラッセルは、1852年二月十六日、ペンシルヴァニヤ州のピッツバーグで生まれ、1916年十月三一日に死亡した。彼はジョセフ・エル及びエリザ・バーニイ・ラッセルの息子で、両親はともにスコットランド-アイルランド系の者である。彼は一般の学校で教育をうけ、個人指導をうけた。

 トム: 彼は非常に真面目な青年だったにちがいない。

 ジョン: そのとおりです。彼が九歳のときに彼の母親は死にました。それで放課後の多くの時間は、父親と共に過ごしました。彼が十二歳の時、父親は午前二時に物置にいた彼を見つけました。(ハ)ジー・エル・ラッセルは1897年、八四歳で死亡しました。彼は息子の親密な共同者として、協会の活動をつづけました。(ものみの塔[英文]1898年一月一日号、四ページ)彼は要語索引を熱読していて時間の経過に気づかなかったのです。(ハ)[:個人注:クルーデンの聖書用語索引(コンコーダンス)を看ていた(熟読??!していた)と思うんだと!!現代でも教文館(洋書)に置いて売ってあったと!!ヤングとストロングの物が今はあるが、ストロング・コンコーダンス・ナンバーってもの凄いと思うと!!]ラッセルは十五歳のときに父親と共同の働きで、紳士物を扱う店で仕事をしました。二十歳台の初めごろ、彼は父親を援助していくつかの店に商売を払張し、国家的な連合の店をつくる途中でした。そのときに彼はそのすべてを断念して全時間の宣教についやすようにしたのです。彼が事業を閉鎖した時、二五万ドル以上の収益が在りました。(ニ)ジェイ・エフ・ルサフォード著「教役的な天での大いなる戦い」(英文)一六頁。[現代の価格で、6-7億円以上を持っていた、それも二十歳代でも??!]

 トム: 彼は多くの決意を持っていた人にちがいない。 

 ジョン: ラッセルは、多くの面でそのことを示しました。まだ若者であった頃、そして神の目的についての真理を知る前に、彼は夜になると外に出かけて、人目につく場所に聖句を白墨で書きつけました。そうすれば、通りすがりの労働者たちはその聖句から警告をうけて、「地獄の苦しみ」から救われる、と考えたのです。神の愛を教える彼の熱心は、ひじょうに強い

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ものでした。そして、ついにこの神を冒瀆する地獄の火の教理が間ちがいであることを知るにいたったのです。そのわけで、彼はその生涯のわざのためにすべてのものをついやしました。後日の共同者は彼がはげしく次のように述べていると告げています。

 もし、永遠の責め苦が聖徒をのぞくすべての者の運命である、と聖句が教えているなら、それを教えなければならない。まったく、毎週、毎日、毎時間、家の屋根から大声で叫ばねばならぬ。しかし、もしそう教えていないなら、その事実を知らせるべきである。そして、神の御名を汚す汚れを取りのぞくべきである。(ホ)「聖書研究」第一巻(1886年)序文:自伝十八頁(1926年)

 しかし、私たちが読んでいる伝記の中には、さらに幾つかの点があります。お示ししましょう。

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 1877年、ラッセルはアレゲーニーとピッツバーグの牧師たち全部の会合を召集し、そして主の臨在を示す聖句を示し、牧師たちにその音信を調べて宣明するようにとすすめた。二つの都市の牧師たち全員は出席していたが、その全員は信ずることを拒絶した。同じ年、彼は世俗の仕事を止めて、聖書に示されている仕

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事のために全時間と全生涯を捧げようと決意した……彼のとる道が聖書と一致するものであるか、また彼の誠実を表すものであるかどうかを決定する手段として、彼は次のことに神の是認があるか否かをためそうと決定した:(1)生涯をこの道に捧げる、(2)わざの拡大のために財産をささげる、(3)全部の集会の際に寄付の徴収を禁ずる、(4)彼の財産が使い果たされた後は、わざをつづけるために人に願い求めぬ寄付(まったく自発的なもの)に依存する。(チ)「聖書研究」第七巻(1917年)五五頁(1918年版)

 ロイス: そんなことは今までに一度も聞いたことがありません。パストー・ラッセルは、その全生涯中に寄付を集めたこともなく、金銭を願い求めたこともない、というのですか。ラッセルは、本当に勇気と確信にみちた人にちがいありません。

 ジョン: 彼は信仰の人でした。彼は神の御心を理解する特権にめぐまれ、自分でもそのことを知っていました。1877年の時には、わずか二五歳の青年でした。しかし、アレゲーニーとピッツバーグの宗教指導者たちが、始まったと彼の感じた収穫のわざに参加するというすばらしい機会をうけなかったとき、ラッセルはちゅうちょしませんでした。彼の信仰は、幾倍も多く報われました。

 同じ年である1877年、ラッセルはバーバーとの共作で、「三つの世界あるいはあがないの計画」(英文)という本を出しました。そのような本は、かつて出版されたことがありません。それは初めて時の預言の説明と回復のわざとを結びつけました。この初期の時に、地を妨害せずに支配するサタンの期間、すなわち「異邦人の時」の終わりは1914年に来ると認めました。ほとんど直ちに、ラッセルは別の重要な決定を下さねばなりませんでした。

困難な問題は解決する[]

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 それからパストー・ラッセルは、このときまですべての人の抱いていた間ちがいの見解を説明しています。コリント前書15章51節と52節にあるパウロの言葉にもとづいて、ある人々は次のことを期待していました。「ある時が来ると生ける聖徒たちは、体のままに突然に奇跡的に取り去られ、今後は主と共に永久にいる」。ある人々は、このことが1878年に生ずると信じていました。それで、目に見えるものが何も生じないので失望を感じたのです。しかし、パストー・ラッセルは聖書を再び調べて、次のことを悟りました。すなわち彼らの「間ちがいは、生ける聖徒たちが、死ぬことなく直ちに変死することを見たいと思った点である。これは普通の教会全部の間ちがいの見解であって、我々はいままでに守ったこともなく、捨てたこともない」。ラッセルがこの聖句を再び調べた結果、次のことが分かりました。使徒の言葉の真実の意義は、キリストの体に属する者たち、そして彼の臨在とその再帰後に生きている者たちは、キリストの再臨前の人々のように墓の中で無意識に横たわることがありません。その代り、彼らは死ぬと同時に瞬間に変化してキリストと共になります。これは実際には、聖句の重要な啓示であって、多数の正統派キリスト教徒はまだこのことが認識できないのです。ラッセルは次のように述べて、この点を結んでいます、「それで、このように再び調べた結果、道の上にはいっそうの光が示された。そして、はげましを与える良い原因となり、主が引きつづきみちびいていることを明らかに示した」。

原則に忠実を保つ点で試される[]

 このように明白な見地と明るい希望を得ることに援助を受けた時、そして他の者を援助しようと熱心に努力していたとき、1878年の春は、バーバー氏と彼の影響下にいた多数の者にとって祝福とははるかに縁遠いものになった。バーバー氏は前述した明白で平易な解決を排斥し、生ける聖徒が連れ去られなかったということから人々の注意をそらさすために、何か新しいものを得ねばならぬ、と感じたようである。しかし、人間が分以上の責任を感じ、新しい光を強調しようとつとめることは、なんと危険な事であろう。われわれを驚かせて、苦しみを感じさせたことは、バーバー氏が間もなくして、あがないの教理を否定する記事を「先ぶれ」(英文)に書いたことである。---その記事は、キリストの死がアダムとその子孫に対するあがないの価なることを否定し、そして次のように述べていた。すなわち主の死は人間の罪に対する支払い

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にはならない。ちょうどハエの体にピンを突き刺してハエを苦しめて死なせても、両親は子供の非行に対する正当な解決と考えないと同じである、と言う。私はびっくりした。バーバー氏は、我々の罪のそなえものとしてのキリストの仕事を明白に理解しているものと、私は考えていた。私はバーバー氏の持っていた以上の明白な見解に対して過大をしていたか、または彼がキリストの正義の婚礼服を故意に脱ぎ捨ててしまったのである。というのは、後者の方が残されていた唯一の結論である。というのは後になると彼はキリストの死が人間のあがないの価であるとかつて認めていた、と述べたからである。(ル)1916年の「ものみの塔」(英文)172頁。

 トム:「婚礼服」と彼が言った意味は何ですか。

 ジョン: ラッセルはマタイ伝22章11-14節にあるイエスのたとえ話について言及していました。このたとえ話は、客を自分の息子の婚礼に招いた一人の王のことを述べています。最初に招待されたものたちは来ることを拒絶しました。それで、王はついに大道や小道に人を使わして他の者たちを集めました。ところが、最終の婚礼の宴のとき、この事に対する正しい認識を示す適当な婚礼の式服を着ていない人がいました。イエスは、彼とまったく一致していることを正しく示す者だけが、選民の集まりの中にとどまるのを許されると示したのです。ラッセルはこのたとえ話をそのように適用することにより、バーバーがイエスのあがないの犠牲の価値を捨てたことは、そのクリスチャン識別を故意に捨てたものである、と示しました。次の言葉を述べたペテロは、このことを警告しました、「民のあいだに、偽預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み自分たちをあがなって下さった主をも否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている」。(ヲ)ペテロ後、2:1。

 マリヤ: そのときパストー・ラッセルはわずか二六歳で、バーバー氏ははるかに年上の人でした。それに「朝の先ぶれ」(英文)は、その創始者という意味では、バーバー氏の雑誌でした。もっともパストー・ラッセルは、この分裂が生じたときには、資金を供給していたのです。それで、パストー・ラッセルは、バーバー氏の立場に容易に影響をうけたでしょう。せっかく両人が得た地位を失うのを恐れて、パストー・ラッセルはバーバー氏に反対することをためらうこともできたはずです。

積極的な行為は妥協を打ち破る[]

 ジョン: ラッセルは年若い者でしたが、妥協は背教の始まりであると、聖書を研究していたので知っていました。それで、便宜のために神の原則あるいは真理を捨てることは、致命的なことです。真理に忠実を保つことについて、これは実際にはラッセルの受けた最初の試練でした。彼は直ちに道を選びましたが、それは決定的なものでした。彼はすぐに「先ぶれ」(英文)に一つの記事を書き、そのあやまりに反対しました。数か月のあいだ類似の記事は出版され、それからラッセルは次のように報告しています。

いまは私に明白に分かった。主は、私が経済的に援助することをもはや許さないこと、また我々の聖なる宗教の基本的な原則に反対するものと共にいてはならない、ということである。そのゆえ、間ちがった者たちを回復させようと、最も注意深い努力---しかし成功しなかった---を払ってのち、私は「朝の先ぶれ」(英文)から手を引き、バーバー氏との今後の交際を全く中止することにした。しかし、単に手を引くだけでは、我らの主なる贖い主に対して保ちつづける忠節を示すのに十分でない、と感じた。……それゆえ、わたしが別の雑誌を始めるのは主の御心である、と私は理解した。この雑誌内において、十字架の旗は高くかかげられ、あがないの教理を守り、そして大いなるよろこびの良いたよりは、できるだけ広範囲に宣明されねばならぬ。[:ラッセルを支持する者-はい!!と手を挙げると!!]

 主のこのみちびきに従い、わたしは旅行を断念した。そして1879年の七月、「[:シオンの]ものみの-塔とキリストの臨在の先ぶれ [:告知者:ザイオンズ・ウォッチ・タワー・アンド・ヘラルド・クライスツス・プレズンス] 」(英文)創刊号が刊行された。それは最初から、あがないを特に提唱した。そして、神の恵みにより、最後までそうあるようにと、我々は希望する。(ワ)1916年の「ものみの-塔」(英文)一七二、一七三頁、1909年一月一日、その名前は「ものみの-塔とキリストの臨在の先ぶれ」(その説明として1908年の「ものみの-塔」(英文)372頁を見よ)、1931年十月十五日、その名前は「ものみの塔とキリストの臨在の先ぶれ」に変わり、1939年一月一日「ものみの塔とキリストの御国の先ぶれ[:ヘラルド:現行訳:告知者] 」に、1939年三月一日、現在の名前であるエホバの御国を知らす[:アナウンシング=ジホーヴァズ=キングダム:現行訳:ヱホバの王国を告げ知らせる ] 「ものみの塔」に変わった。創刊号から1891年十二月まで、その雑誌は月一回の発行で、1892年の一月一日からは月二回の出版になった。(1891年のものみの-塔(英文)173頁を見よ)外国語のものみの塔の出版は異なります。

 清い教理に対するこの大胆な立場が、大きな影響を及ぼすということは、そのときにおいては分かりませんでした。しかし、今でこそ明白に分かりますが、もしラッセルがこの大切な問題について妥協していたなら、エホバにささげる彼の奉仕は、背教のキリスト教国の宗教家たちが捧げていた不適当な犠牲と同じく、すこしも価値のないものでしょう。それは、エホバの代表者であるキリスト・イエスが「[小]麦」級を集めるために用いる機関を選んでいた時でした。

 神のみ言葉から啓示された真理は、注意深い熱心な研究をしていたラッセルとその仲間の者たちに与えられました。いまやエホバが、神の御心を知って行なうと誠実に願い求めていたすべての人々を「暗やみからすばらしい光」に召される時が来た、という正直な確信を持っていた彼らは、それらの真理を受け入れることができました。ラッセルの立場は、ガラテヤ書二章四、五節の聖句を思い起こさせます。ロイスさん、その聖句を読んでいただけますか。

 ロイス:(読む)それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので---彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。わたしたちは、福音の真理があなたがたがのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった[:ノア兄弟はカトリックに屈服したように見えたが、実際には背教では無かったんだとか??!非予定説が在ってとか?!]」。それを述べた人は、パウロでしたね。

 ジョン: そうです。パウロの時の初期教会内には、そのような問題がたくさんありました。彼は神の御言葉の真理の側に立つだけでなく、今日の私たちのため

[379]

に多くの助言を与える言葉をも書きました。その忠実を保ったパウロが豊かに祝福されたと同じ様に、ラッセルや彼の初期の仲間たちも豊かに祝福されました。

忠実は祝福を増し加える[]

 これらの確信は、バーバー氏と「朝の先ぶれ」(英文)との啓発的な経験と相まって、ラッセルをして次のことを認識させました。すなわち真のクリスチャンたちで成りたつこの小さな群れが、神の御こころに忠実を保ちつづけるためには、これらの真理の出版をしっかり保たねばならぬということです。たしかに、彼らの始まりは、小さなものでした。しかし、それはゼカリヤ四章一〇節の聖句、「だれが小さいことの日をいやしめたか」(欽定訳)を思い起こさせます。1879年に始まったこの日に、小さなピッツバーグの群れは再び独力で働きました。それは「小さいことの」日でありました。

 1879年七月一日号の「[:シオンの]ものみの-塔とキリストの臨在の先ぶれ」第一号は、わずか六、〇〇〇部でした。(カ)1879年八月号の「ものみの-塔」(英文)二頁。  シー・ティー・ラッセルは、編集者になり、五人の他の円熟した聖書研究生たちは、定期的に記事を提出しました。この新しい雑誌の最初の言葉は、興味深いものですから、読んでみましょう。

 これは、「シオンのものみの-塔」(英文)の第一巻第一号である。今この出版物の目的を述べることは、適当であろう。我々が「末の日」--「主の日」--福音時代の「終わり」に住んでおり、その結果「新しい」時代のあけ方に生活をしていることは、御霊に導かれて御言葉をくわしく学んでいる者たちの認める事実です。しかし、また世界に認められる外部のしるしも同じ証言を立てている。それゆえ、我々は「信仰の家の人」がその事実に全く目ざめるようのぞんでいる。(ヨ)1879年七月号の「ものみの塔」(英文)三頁。

 この雑誌は、その最初からエホバの御名に証を立てています。この雑誌は第二号の中で、「あなたは『シオンのものみの-塔』を欲しますか」という見出しの元に、こう述べられていました。

 「シオンのものみの-塔」(英文)はエホバがその支持者であると我々は信ずる。そうであるかぎり、その支持者は人間に支持を乞い願い求めようとはしない。「山々の金と銀はみな我がものである」と言われる御方が、必要な資金を供給しないなら、それは出版を中止する時である、と我々は考える。(タ)一八七九年八月号の「ものみの塔」(英文)二頁。

 それから二年の後、エホバの御名と識別が論ぜられてました。一八八二年、七月号には「イスラエルよ、聞け!我らの神エホバは唯一のエホバなるぞ」と題する七頁の記事が出ました。この記事は「三位一体の教理」すなわち「三・位・を持つ一・つ・の神」という教えの間ちがいを指摘しました。一八八二年の八月、「エホバの名前は父に正しく適正するものか、あるいはキリストに適用するかについて尋ねられました。その答は、次のように与えられていました。

 エホバという御名は、聖書中では父以外の他の者に決して適用されていない、と我々は確信をもって論ずる。それと逆なこと主張する者たちは、一つの聖句を持ち出してきて、それはイエスかあるいは御父以外の他の者に適用すると示す。ここに、このことを確定的に証明する方法がある--新約聖書を書いた者たちは、旧約聖書からたくさん引用している。彼らは、エホバという言葉が出ている箇所を引用して、それをイエスに適用しているだろうか。そうしていない、と我々は主張する。それに反して、我々はイエスに適用されないで、明白に御父に適用されているたくさんの同様な引用文のひとつをあげる。それは詩篇110ノ1で、「主(エホバ)は我が主(アド[ー??]ン--主人)に、坐せと言った」その他である。(この聖句がイエスにより(ルカ、二〇ノ四一-四四)、ペテロにより(使行、ニノ三四-三六、そして三三)適用されていることに注意しなさい。この一つの聖句だけで、十分の解答であろう。もし、人がその聖句を曲解するなら、他の聖句をも用意している。(レ)一八八二年八月号の「ものみの塔」二頁と三頁。

 それで、パストー・ラッセルはエホバの証者のひとりとして働き、仕えました。(ソ)「三つの世界」(1877年)の二〇頁には「」という言葉の代わりにエホバという御名が出ています[:実際には日本語のは新改訳聖書の旧約版が、欽定訳がの大文字のLORD(ビブリア・ゲルマニカ:ルター訳が、HERR(後のHErr)としていると!)という伝統を持っている、ジュネーヴ訳版はウルガタのレーンス・ドウェイ訳と同じで!!、新改訳の新約は持っては要らない方の聖書で!!三位一体の問題!!]。それは次のようなゼパニヤ書三章九節を引用して次のように述べています。「その時、我は人々を清い言葉に変え、エホバの名を呼ばしめ、ひとつの心をもってエホバに仕えさせん」。それでラッセルは初期のときから神の御名を知っていました。

神の経路は識別のしるしを示す[]

 トムさん、お分かりのように、たくさんの仕方の中に証拠は明白に次のことを示し始めました。すなわち、いろいろと聞こえた多くの声のうち、エホバはいま「ものみの塔」と呼ばれる出版物を選んで、人類の世界に神の御心を啓示し、その頁を通して述べられる言葉によって、世界の人口を二分し、神の御心を行う者と神の御心を行なわない者に分けています。この理由の故に1879年はわざの行なわれる転向点になりました。シー・ティー・ラッセルの指導するこの小さな群れは、試練を受けて一九一四年に期待される最高潮にみちびく大きな予備運動をするのにふさわしいと分かりました。しかし、四〇年にも足らない年月中に、この小さな群れは世界中に何を行なえると期待できますか。条件が有利な時でも、その仕事は手に負えないもののように見えました。しかし、恐れを感ぜぬこれらの巡回の伝道者たちは、最もつらい反対をうけるということを知りつつも、実際に仕事をし始めました。約四〇年のうちにエホバの御名の賛美にささげられた彼らの記録は、ゼカリヤ書四章六節に述べられている通りの言葉を成就しました、「万[:萬]軍のエホバのたまふ是[:これ]はいきほひ[:権勢]によ[:由]らずちから[:能力]にもよ[:由] らず我霊[:ルビ:わがれい]によ[:由]るなり」エホバだけが御自分の民をやしない、みちびくことができます。

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