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[456] [研究記事]

新しい聖書のー翻訳と発表ー編集

 ①聖書についての前述の記事は、一九六〇年六月十八日、土曜日の午後の三時、ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会の会長がエホバの証者の地域大会で講演したものです。そのエホバの証者は、英国マンチェスター市、マンチェスター市フットボール・グラウンドで四日間の大会を開いていました。会長は前述の話をしてから、さらにこう言葉をつづけました。

 ②今日のペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会は、一八八四年にシオンのものみの塔冊子協会として法人化されました。その時以来、現代のエホバの証者は出版機関としてその合法的な法人を用いて来ました。その憲章の言葉どおり、協会はたくさんの言葉で聖書を配布しました。一九二六年以来、協会は自分の機械で聖書を印刷する仕事をしました。協会が、その版を有しているエ・ン・フ・ァ・チ・ッ・ク・=ダ・イ・ア・グ・ロ・ッ・ト・は、一九二六年に初めて出版されました。その時以来、一六万六千二百四四冊は印刷されました。時たつ中に協会は聖書の欽定訳を印刷するための版を買いました。この欽定訳は、ラテン語バ・ル・ゲ・ー・ト・から訳されたものでなく、原語のヘブル語、アラミヤ語そしてギリシャ語から訳された最初の英語の聖書です。協会は一九四ニ年にはその聖書を印刷し始め、以来百三十九万六千七百一部を印刷しました。

 ③後日、協会は、一六一一年の欽定訳の改訳であるアメリカ標準訳の版使用の特権を買い取りました。ものみの塔協会は、このアメリカ改訂訳を一九四四年に印刷し始め、以来二つの大きさで八十万八千八百三十七冊を印刷しました。協会は、その機会を用いてこの三つの聖書訳を二百万部以上印刷し、その八十五の支部制度をとおして全世界に配布しました。協会は、またこれらの支部を通して、たくさんの言葉で書かれている聖書をひろめました。協会は他の聖書協会から外部の聖書を入手することができたからです。

 ④一九四八年、ものみの塔協会は、聖書新世訳委員の存在を認めるようになり

[第二段落目]

ました。この委員は、聖書の全部を原語から現代語に訳し、今日の正確な聖書教育に最も適したものをつくるために形成されました。委員はその翻訳をものみの塔協会に渡して協会がその所有権を持ち、聖書教育のわざの一部として出版することに同意しました。一九四九年九月三日、協会の会長は、理事たちの会合の際に、タイプライターで書かれたクリスチャン・ギリシャ語聖書の全訳を紹介しました。それは、翻訳委員が、そのすこし前に協会に渡したものです。一九五〇年八月二日、私はニューヨーク・ヤンキー野球場に集まったエホバの証者の国際大会で講演をし、ニューヨーク・ブルックリンの協会の印刷機から印刷されたばかりのクリスチャン・ギリシャ語の新世訳を、その大会に出席していた八万二千七十五人に発表する特権を持ちました。初版は四十六万部でした。十年間に協会は百四十万八千六百六十八冊のクリスチャン・ギリシャ語聖書の新世訳を印刷しました。

 ⑤それから、聖書新世訳委員の努力は、正典のヘブル語聖書を現代の英語に訳することに向けられました。翻訳すべきヘブル語の聖書として、委員は主としてビブリア・ヘブライカとして知られている版を用いました。これは、故ルドルフ・キッテルと生き残った仲間たちがつくったもので、ドイツ、スタットガート[:シュツッツガルツ]のプリビエギルテ・ベルテムベルギシエ・ビべランスタルトにより数多く出版されました。この版の中では、モーセス・ベン・アシェルによる聖書にもどる努力が払われていました。モーセス・ベン・アシェルは、昔から伝えられた者の保存と、ヘブル語聖書の発音について、最大のマソレート筆記者と考えられています。(四五三頁の写真を見なさい)委員のヘブル語聖書訳は、次第次第に進んで、各巻が順次に出版されました。

 ⑥ヘブル語聖書の新世訳第一巻は、一九五三年に印刷され、ヤンキー野球場で行われたエホバの証者の二度目の国際大会のときに発表されました。その中に

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①前に出されている聖書についての知らせは、最初どこでいつ、そして誰によって公に話されましたか。    ②(イ)現代のエホバの証者は、その出版機関としてどんな法人を用いましたか。   (ロ)いつの時から、その法人は自分の機械を用いて聖書と聖書の部分を印刷しましたか。その最初の二つは、どんなものでしたか    ③(イ)それは、他にどんな全聖書を次に出版しましたか。どの程度まで? (ロ)この聖書協会はたくさんの言葉で書かれている聖書をどのようにひろめましたか。    ④簡潔に言って、クリスチャン・ギリシャ語聖書の新世訳の出版と発表についての事実は何ですか。   ⑤委員はヘブル語聖書を翻訳するために、主としてヘブル語聖書の誰の版を用いましたか。そして、その翻訳は、どのように出版されましたか。    ⑥ー⑨第一巻、第二巻、第三巻そして第四巻についてのいくらかの興味深い事柄は何ですか。

[457] は、聖書の最初の八冊が入っています。初版は五十万冊でした。今日にいたるまで協会は七十三万千六十五冊を印刷しました。

 ⑦第二巻は、五日間にわたる十三の一連の大会の最初として、イリノイ州シカゴで一九五五年に発表されました。この巻の初版は三〇万冊で、聖書の次の九冊を収めています。今日までに、協会は四四万四千五百五三冊を印刷しました。

 ⑧第三巻は、一九五七年の夏の一連のエホバの証者の地域大会における呼び物として発表されました。この巻の中には、聖書の詩の本が五冊入っています。その初版は三五万部でした。協会は、いままでに三七万部二千八百九〇部を印刷しました。

 ⑨第四巻は、いままでの記録上で最大のエホバの証者の国際大会の際にヤンキー野球場で発表されました。そのときの一五万二八ニ人の出席者たちは歓呼してこの本を受け取りました。その本の中には、イザヤ書、エレミヤ記、そしてエレミヤ哀歌という三冊の預言的な本が入っています。今日まで協会は二八万二千二百五四冊を印刷しました。

 ⑩エゼキエル書からマラキ書までの一四冊の預言的な本は、翻訳が未了でした。前聖書の著者なるエホバ神は、翻訳委員会を守り、希望していた目標を達成せしめました。それで、エホバの愛ある御親切により、新世訳聖書委員会の最初の訳が発表されて十年の後、この英国マンチェスターの地域大会において、ヘブル語聖書の第五巻を発表することは私の大きな特権であります。このなかには、ヘブル語正典の最後の十四冊が入っています。長くのぞまれていたこの巻が出版されることにより、聖書の新世訳は創世記から黙示録にいたるまで、完成されたことになります。それで、今日は全世界のエホバの証者にとって、大きなよろこびの日、感謝をささげる日であります!いまのところ、この最後の巻の初版は二八万部です。全部を統計すると、私たちの協会は英語の全訳聖書を二百五六万五八万部印刷しました。あるいは、英語の全訳聖書と一部分の訳を五百九七万七千二百十部印刷したのです。しかし、これで全部が終ったわけではありません!

 ⑪この最終的な本は、ヘブル語正典のこの部分の現代英語訳の他に、他の貴重な資料をも含んでいます。それには九〇頁にわたる付録がついていて、特にヘブル語聖書についての得がたい資料が記されています。また、特別顕著な聖書題目や固有名、そして最初の聖句が出ています。奉仕者は、その聖句からその様な

[第二段落目]

題目や名前についての連続している聖句引照のくさりをたどって行くことができます。また、聖句のアルファベット題目もあるので、奉仕者は新世訳全部にある見なれぬ新しい言葉をすぐに探し出すことができます。それぞれの言葉には、いくつかの選び出された聖句がついているので、エホバの証者はそれらを使用することにより、時に応じて、原稿のない話をつくることができます。また、聖書の表や、貴重な地図および図表は、特にこの最後の巻につけられています。

⑫この最後の巻は、経外書の本を一冊も含んでいません。これらの本は、聖書の著者エホバ神によって霊感されていないからです。新世訳聖書委員は、三九七年のカルタゴにおける宗教会議の目録によらず、聖書的に正典と証明されている聖書の目録に従います。それは、最初から終りにいたるまで、神の真理に一致しているものです。

⑬聖書新世訳委員は、十年以上にわたる仕事を完成しました。しかし、いまここで解散すべきでないと感じています。この委員は、翻訳全部を通読して、その中の特定な箇所を改善し、たくさんの脚注や付録の無い一冊本にまとめるということです。すると、片手でも楽に持ち運びできて、エホバの証者の世界的な奉仕活動に効果的に使えるでしょう。エホバの証者は、この古い世がハルマゲドンで終わる前に、全国民へのあかしのために全地にわたって神の御国の良いたよりを伝道せよ、というキリストの命令に従います。翻訳委員がエホバ神の祝福をいただけますよう。そして聖書を愛する私たちが、その委員を通して設けられたエホバの御準備を用いて、エホバに誉を帰し、エホバの聖なる御名を呼ぶ多数の者を救うことができますように。

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⑩(イ)第五巻の発表はどのようになされましたか。そして、その出版はこの翻訳にとって何を意味しますか。

⓫この最後の巻にある特色ある内容は何ですか。 ⓬翻訳委員は、その翻訳の仕事をしたとき、何に依存していますか。それで第五巻の中に何を入れませんでしたか。   ⓭翻訳委員は、いまどんな仕事に取りかかりましたか。この面について私たちの祈りは何ですか。

==神の目的とエホバの証者==   

      その7

「『あなたがたはエホバの証者です』とエホバは言われる。」ーーイザヤ43:10。新世訳

      第六章

     攻勢に出る

トム:ロイス、お母さんはどんなことについてジャッジ・ルサフォードに反対したのかね。もっとも、お母さんは自分の牧師さんの話以外には耳を傾けようとしなかった。

ロイス:トム、それは正しくありませんわ。母はむかしほど、自分の宗教について強気ではありません。しかし、ジャッジ・ルサフォードは教会に対してはばからずに話しました。ジョンさん、そうでしでしょう。

ジョン:たしかにそうです。しかし、おぼえていただきたいことは、ルサフォードがものみの塔協会の会長になる時までには、教会の指導者たちはパストー・ラッセル個人に対しても、また協会そのものに対しても、根深い敵意を持っていたのです。

ロイス:でも、パストー・ラッセルが教会に対して戦いをしかけるということよりも、教会と共に働こうと努力したのであるなら、たくさんのことができたはずではないでしょうか。

トム:ロイスたぶん妥協はすることが、できたかもしれないが、それ以外のことは何もできなかっただろう。いままでの話しから知ったのだが、それは一つの試験だったのだ。つまり、彼

が信仰のためにかたく立つか、あるいは全部の教会が選んだような背教の道に従うかを調べるためなのだ。それに、ラッセルの見解は、正統派宗教の見解とは全く正反対だった。ジョンさん、そうでしたでしょう。

ジョン:そうです。ロイスさん、いつか私がお話ししたことをおぼえていますか。パストー・ラッセルはピッツバーグとアレゲーニイの牧師たちに近づいて、新しく発見したキリストの再臨についての聖書的な理解を知らせようとしたところ、牧師たちはそれを受け入れようとしませんでした。それでは、ラッセルはどうすべきでしたか。牧師たちから反対されたという理由で、その見解を捨てることはできませんでした。収穫の時は来た、と彼は確信していました。それで、もし牧師たちが、自分たちの管理にゆだねられている「羊」に語らないなら、彼が語らねばならないと信じました。それで、あるかぎりの力と巧みさをもって、このことを行ないはじめました。

 ラッセル自身も認めたように、再臨論者たちはたしかにキリスト再臨の教理に多くの悪評をもたらしました。彼らはとてつもない見解や時定めを、どんどん発表したからです。この点については、ラッセル自身も再臨主義に真っこうから反対しました。その結果、彼はもっと自由な見解を持つ教会で講演をする招待を受けたのです。しかし、パストー・ラッセルが人々に、肝要なことをみな講演すれば、必ず教会指導者たちの気嫌をそこねました。古くから協会と交わっているひとりの人から聞いた出来ごとをお話ししましょう。

 ある日曜日、ラッセルはペンシルバニア州の一都市の教会で説教をする招待を受けました。朝の礼拝のとき、ラッセルは御国の祝福について語り、キリストの千年統治のもたらす幸福な状態を説明しました。出席者はみなこのたよりに大よろこびでもっと話を聞きたいと思いました。実際のところ、聴衆の中のある人々は、その都市の別の教会から来ていたのですが、そのうけた感銘が非常に良かったので、両方の牧師たちに働きかけ、その夜両方の教会会員に別の説教をするようラッセルに願ってくれと説得しました。これは賛成されました。この夜の集会のとき、ラッセルは決意をもって臨みました。人々がキリストの再臨と、その臨

在にともなう祝福についての興味を示したのであるから、このことについて、もう少し深く語り、これらのことの起こる時[:補側的な注解:時はラッセルが最も慎重の考慮の末に下した結論だっただろう、時はキリストでさえも解からないという観点から、ラッセル自身も避けていて、特に1,914年は最も考慮のいる問題だっただろう、故に1,914年に世が終わるという勘違いも出て来ると?!1,914年以前の40年間だとか?!備えとしては聖書研究者の役割があったのだろうとか!!この一世代に関しても??!ラッセルの世代だと勘違いも??!フランズ兄弟と重なる??!「王国は支配している」の本でも「使者」のラッセルの役割とか?!!備えについて?!!ラッセルのものみの塔会衆も初期の段階で、ラッセルの時代はも??!終わりはまだなのです(マタイ、24:6??!)とか!!全世界的な会衆に発展する余地があると!!]について語らねばならない、と彼は決意したのです(イ)彼はその通りに行い、一九一四年を指摘しました。

 その話を終えてからラッセルは説教壇の真うしろにある牧師の書斎に行きました。そこでは二人の牧師が彼を待ち受けていて、ラッセルのことを羊の衣を身につけた狼であると責めました。牧師の言うには、ラッセルは再臨論者であって、午前には人々の耳に快く聞こえる良い話をして、その夜大ぜいに人々を集めようとしたのだ、そして、再臨論者の宣伝をたくさん吹き込んだ、と両人は責め立てました。両人は、朝の集会のときにラッセルが神の御国の祝福について語ったことには反対しなかったのです。しかし、町に住む最善の人々が夜の集会に集まった時、ラッセルは再臨論者の本性を表わした、と両人は言い立てました。そのときラッセルは年若い青年でした。後になってからの彼の話しによると、両方の牧師は、数分のあいだラッセルに悪口を言いつづけ、しかもラッセルには一言も語らせる機会を与えなかったのです。ラッセルは黙禱をささげて援助を求め、床が開いて彼を呑みこむようにと希望していた、と語りました。

 ちょうどそのとき、戸をはげしく叩く音がしました。牧師が「お入りなさい」と言う前に、あるいは戸のところに行く前に、手に大きな杖を持ったひとりの老人が入ってきました。この老人は、その杖で戸を叩いたのです。老人は牧師のところにつかつかと歩き、その面前で杖を振り舞わしながらこう言いました、「わしは、二〇年間のお前さんに良い給金をあげてこの会衆を教えてきてもらった。だが、二つの説教をしたラッセル兄弟の話は、二〇年間のお前さんの話よりも、ずっと多くのものを教えてくれた。お前さんは勉強して話を良いものにするようにしなきゃならん。このラッセルから教わりなさい。それがだめなら、新しい仕事を見つけるがよい」。それから、老人はラッセルのところに歩いて行ってその手を取り、こう言いま

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(イ)一八八一年四月号の「ものみの塔」(英文)

[459] した、「ラッセル兄弟、神の恵みがありますよう。いっしょに家に来てください。いくつかの質問があるので、おたずねしたいと思います」。後日このことを話したパストー・ラッセルは、それはほんとうに悪い状態の幸福な結末だったと述べたそうです。

 ラッセルは教会の指導者にはくり返し失望を感じていたので、次のことを認識するようになりました、すなわち教会の牧師たちのうち真理に来る者はほとんどいないのであるから、牧師たちと交わりを持つよりもその羊の群れの者たちと交わり持つ方が、時間の賢明な使い方だ、というのです。

 ロイス:では、いろいろの教会指導者たちが、ラッセルの教理に賛成しなかったのなら、彼らはパストー・ラッセルに反対するように自分の群れに警告を与えなかったのですか。その義務を感じなかったのですか。

 ジョン:多分感じたことでしょう。しかし、彼らは監督の地位についていたので、彼らの責任は一層大きなものでした。教える者は、その大きな責任のゆえに、いっそうきびしいさばきを受けるであろう、とヤコブは初期クリスチャンたちに警告しました。(ロ)少数の教会指導者たちは、ラッセルと聖書論議をしようとしました。しかし、これはいつも彼らの大敗に終ったのです。しかし、牧師たちは自分たちの持つ真の立場に目ざめず、かえって敵意をいだいて、ラッセルに対していっそう強い手段を取る結果になったのです。

 彼らの責任は、強調されました。なぜなら、彼らはラッセルを個人的にそしり、奉仕者としての彼の立場を軽んじようとつとめたのです。一八四六年、顕著な新教徒の制度は、「福音宣教教会同盟」と呼ばれる伝道者の組合のようなものをつくりました。これは、すでに神学校を経営している大きな宗派だけに聖職の任命認可を受けた奉仕者とはみなされず、もしラッセルのしたように、それらの者が伝道するなら、それらの者たちはさげすまれ、一般人の嘲笑をうけました。それで、ラッセルは援助を与えようと希望していたこれらの人々により、あらゆる面で反対を受けたのです。(ハ)

      顕著な比較

ロイス:すると、宗教指導者たちは、神にも敵対し

たことになるのですか。宗教指導者たちは、彼らなりの仕方で良いことをしていたかも知れません。

ジョン:ロイスさん、そのときのエホバの証者のしていたわざに、彼らが反対したということだけではないのです。牧師たちが証者に反対した仕方が問題なのです。牧師たちの行いは、彼らがサタンによってたしかに用いられたことを明白に証明します。パストー・ラッセル自身も認めた対比をお知らせしましょう。彼は一八八一年五月号の「ものみの塔」(英文)で、その見解を発表しました。彼はキリスト・イエスの初臨が再臨の型を示す、と指摘しています。イエスは三年半のあいだイスラエルの国民に伝道しましたが、国民全部としては、彼らがイエスの言葉に耳を傾けようとしませんでした。その結果、肉のイスラエルは、一国民として神により捨てられ、それから後の三年半は個人としてのユダヤ人だけが彼のところに来ました。その三年半は、メシヤの初臨のとき、イスラエルに与えられた恵みの期間でした。

 栄化されたイエスが一八七四年に見えないさまで臨在した[:「み子の王国」という意味でも正しかったと思うと?!!キリスト教世界に対してはも?!早い救いに関してはも??!]、と信じていたラッセルは、そのとき、こう書いています。

 さて、この対比は何であろうか。また、この預言的な「影」の意味は何であろうか。我々はこう答える。一八七四年からの三年半の期間中、臨・在・し・て・い・る・花婿イエスの宣明は、教会全体に対してなされた。御霊はシオン全体に次のように話しかけている、「我なんぢにすゝむなんぢ我より火にて煉りたる金を買いて富め、白き衣を買いて身にまとひ……すべてわが愛する者は我これを戒め、これをこらす。この故に、なんぢはげみて悔い改めよ。視よ、われ戸の外に立ちて叩く」(黙示、三ノ一八ー二〇)

 しかし、彼らは彼の臨・在・と召に注意を向けなかった。その「影」は、彼らがそうしない、ということを示した。(「律法の博士」が「影」の中で行なったごとく、「神学の博士」がもっぱらそれに反対した。)三年半の後(一八七八年に)彼は、「影」の中で行なったように、ここの教会を捨てて荒れるままにさせた。彼はこう言われている「熱きにもあらず、冷かにもあらずただぬるきが故に、我なんぢを我が口から吐・出・さ・ん・」

(黙示、三ノ一六)ユダヤ人の教会は、「捨てられる」までは神の代弁者であった。しかし、その時から後は、神の真理は別の径路を通して来た。それで、福音教会は、神によって認められた真理の径路、すなわち代弁者であった。しかし、そのようなものは、もはや存在していない、と我々は信ずる。真理はいまは他の径路を通って来る。

 一八七八年以来(それ以前には決・し・て・な・い・)我々は神の子たちを教会から呼び出して自・由・の立場につかせることを自由に行ない得ると感じている。その立場にいる彼らは自由であって、エホバに自由に仕えることができる。そして、エホバの御言葉を研究してエホバから教えられるであろう。彼らは次のように言う、「大いなるバビロンは倒れたり……悪魔の住家、もろもろのけがれたる霊の檻、もろもろのけがれたる憎むべき鳥の檻となれり」(教会がこのように倒れて、そのふところに地上の腐敗がいだかれたことは、しばらくの期間中行なわれていた)さて、次のような音信が来る、「他の声あるを聞けり。曰く『わが民よ、かれの罪にあづからず、彼の苦難(くるしみ)を共に受けざらんため、その中を出でよ』」(黙示、一八ノ二ー四)(ニ)[:補側的な注解:自分も100年後同じことを経験していると!!教会ってカトリックからの憎しみもあるって?!1,976年1/15号の当時も小さな「からし種」の大きな木とは、教会を表わすという??!「捧げ銃をする説教師」で!カトリックからの憎しみって?!たとえ話の解釈も??!福音教会って、キリスト教世界って、悪い事は喜べないんだが(フィリピ2:3!!が正しかった?!~)?!ものみの塔協会会衆組織の成就には喜ぶよ!!]

 神に奉仕すると主張していた者が、メシヤはふたたびあらわれて、以前この地上にいたときに約束した祝福を忠実な人類にもたらすという音信に対して、なぜ敵対したいのでしょうか。それで、これらの宗教指導者たちは、パストー・ラッセルに反対すべきではなく、むしろ彼らとしてなし得る最小限のことはガマリエルのすすめた立場をとるべきだったでしょう。ガマリエルは、イエスの弟子たちを支持した正直な法律家でした。彼は、ユダヤ人の最高法廷であるサンヘドリンにこう言いました。「あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、

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(ロ)ヤコブ、三ノ一。

(ハ)ジェー・エフ・ルサフォード著「教会の天における大いなる戦い」(一九一五年)七ー一〇頁「連合同盟」

(ニ)一八八一年の「ものみの塔」(英文)五頁。

[460] 読者よりの質問

●イエスは、大いなる蛇サタンに傷つけられ、創世記三章一五節を成就すると知っていました。それであるのに、なぜ苦しみの杭の上にかかって死んだとき、「わが神。わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と語ったのですか。--マタイ、ニ七ノ四六、新口。

 苦しみの杭の上にかけられたイエスが、この質問をしたのは、彼の天的な父であるエホバ神が彼を捨てたことを知らなかったためではなく、むしろ預言が成就するためでした。ここに成就されてた預言は、ダビデによって書かれた詩篇二二編でした。ダビデは多くの面で主イエス・キリストの預言的な型でした。

 その詩篇の最初の言葉の中で、ダビデは次のように叫んでいます、「わが神わが神なんぞ我をすてたまふや」イエスがかかっていた苦しみの杭近くに立っていた弟子たち、例えばヨハネやイエスの母親マリヤは、イエスが詩篇二二篇一節の言葉を叫ぶのを聞きました。しかし、なぜ彼がそのように叫んだか、そのときには十分理解できなかったでしょう。しかし五旬節の日に聖霊で油注がれ後に正しく理解する出来るようになってから、彼らはこの預言な叫びはイエスを神のメシヤ、キリストと示した事実を記憶し理解しました。

 苦しみの杭にかけられていたイエスは、ほんとうに天的な父エホバから見捨てられました。それは、神に対する彼の忠実が極限のところでためされるためです。神はサタン悪魔と地上にいるサタンの悪い宗教的な手先共の悪い企てに、彼を捨てました。それで、死を生ぜしめる手段を持つサタンは、神の子に対してその力を行使する自由を与えられたのです。

 しかし、神がイエスを捨てられたのは、悪魔とその手先共がイエスを死なせるところまででした。イエスがこのように捨てられたことの中には、彼の死体すなわち屍の処分は入っていません。イエスの敵共は彼の

体を苦しみの杭から取り外ずして火の燃えるヒンノムの谷(またはゲヘナ)に投げこみませんでした。アリマタヤのヨセフは、苦しみの杭からイエスの体を受け取って、彼がつくった新しい墓に屍体を葬りました。イエスがこのように葬られたことは、彼が人類の共通の墓、ショオールにいることを意味しました。ショオールの中で、彼はエホバ神によって捨てられていません。なぜなら、詩篇一三九篇八節(イエス・キリストの型であるダビデによって書かれた)は、「われわれがとこをショオールにもうくるなら、みよ、なんじはそこにいます」。(ア標)それで、イエスの死後三日目にエホバ神はイエスを永久に捨てられなかったことを示しました。すなわち彼を死人の中からよみがえらして不滅の霊者の生命にならせました。その同じ復活の日イエスが後になって弟子たちにあらわれたとき、彼は次のように言うことができました。「モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。その中には「わが神わが神なんぞ我をすてたまふや」という詩篇二二編一節も入っています。

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 神の目的とエホバの証者(四五九頁から続く)

もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。(ホ)しかしラッセルの時代の宗教指導者たちは、ガマリエルの述べたこの賢明な助言に従いませんでした。パストー・ラッセルが、彼らのところに来て、彼はイエス・キリストのしもべであると述べ、イエスの弟子たちが伝道していた希望と同じ希望を指摘したとき、牧師たちは、彼らに従う者たちに次のことを言うだけで満足しませんでした。「これらの人々に注意を向けるな。そのなすままにしておきなさい。時が来れば、彼らのわざは神からのものでなく、人間のものであると分かるであろう。それは、その重味で倒れるであろう」。

 もちろん、自分たちのあやまりを認めて、神の御心に従おうとする積極的な気持ちがないなら、彼らはそのことを言えないでしょう。彼らは高慢でした。彼らの教会制度に交わるいちばん良い人々が、きわめて熱心

な態度でこの教理を受け入れたので[:すなわち、レイマンである大群衆でもあるわたしたちエホバの証人。]、牧師たちはイエスの時代の宗教指導者たちが取ったと同じ道を取りました。聖書の記録によると、そのときの人々はイエスの言葉をよろこんで聞いた[:エホバの証人一般の前影、予型。]のです。これら現代の学者やパリサイ人たちは、ラッセルのしていたわざに反対し始めただけでなく、彼を個人的にそしり、ラッセルに従う者たちを嘲笑し始めました。さらに、彼らはわざを妨害する障壁を立て始めました。さらには、彼らはカイザルの政府に願い出て、法律の面からわざの進歩をむずかしくさせようとしたのです。しかし、ラッセルはいつでも、人々が公正な比較をして、自分自身で決定を下し得る機会を与えたのです。

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(ホ)使行、五ノ三八、三九新口。