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[532] [研究記事の後の副記事]

    エホバに教えられる[]

 エホバに教えられなさい。なぜ?エホバは何を教えますか。エホバはどのように教えますか。エホバに教えられるには、私たちはどんな条件にかなわなければなりませんか。

 エホバは神であり、あらゆるものの中で最大の教訓者かつ根本原因者であられる故、私たちはエホバに教えられるようにつとめるべきです。エホバを教えた者はひとりもいません、「ああ深いかな、神の知恵と知識の富は………だれかエホバの心を知っていたであろうか。だれが助言者となったであろうか」。だれもいません。「エホバ自ら知恵を与えられる。彼の御口からは知恵と分別が出る」。エホバは全能の方、全知の方、「終りのことを始よりつげ」る方です。--ロマ、一一ノ三三、三四。箴言二ノ六、新世。イザヤ、四六ノ一一。

 エリフは正しく次のように述べました、「たれかよく彼のごとくにおしへをたれんや」。彼は「地のけものよりも善くわれらを教え、空の鳥よりも我らをかしこからしめ給う者なり」。彼が「なんぢを教ふるもの」と述べられているのも、全く適当なことです。--ヨブ、三六ノ二二。三五ノ一一。イザヤ、三〇ノ二〇。

 エホバに教えられるとは、洞察力を持ち平和を楽しむという意味です。「われ汝ををしへ汝をあゆむべき途にみちびき」「なんぢの子らは皆ヱホバに教えをうけ、なんぢの子らのやすきは大ならん」。「われはなんぢの神ヱホバなり我なんぢに益することを教え、なんぢを導きてそのゆくべき道にゆかしむ」。--詩、三二ノ八。イザヤ、五四ノ一三。四八ノ一七。

   エホバが教えるもの

 エホバから教えをうけたいとのぞむ者たちに、エホバは何を教えますか。先ず第一に「われはヱホバなり是わが名なり」。また「ヱホバは真の神なり彼は生ける神なり永遠の王なり」。エホバはさらに彼の目的が何であるかを教えておられます。御自身についての最高の目的は、み名にあびせられた非難をのぞいてご自分の御名の立証することです。そうするなら「かれらはヱホバてふ名をもち給ふ汝のみ全地をしろしめる至上者なることを知るべし」。--イザヤ、四二ノ八。エレミヤ。一〇ノ一〇。詩、八三ノ一八。

 この地と人類についてのエホバの目的は、「水の海をおほへるごとくヱホバを知るの知識」を地にみたすことです。また、「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる」なぜなら、「もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」からです。別の言葉で言うと、

[533] 地と人間に対するエホバの目的とは、全地にひろがる楽園です。イエスが私たちに祈るようにと教えた御国によって、エホバ神は両方の目的を達成します。--イザヤ、一一ノ九。黙示、二一ノ四。マタイ、六ノ九。

 エホバはまた私たちに対する御自分のみ心が何であるかをも教えておられます。御国は彼の目的を達成するための主要な手段であるゆえ、私たちに対する彼の御心は、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。別の言葉で言えば、『あなたは、すべての心をこめ、すべての魂をこめ、すべての思をこめ、そしてすべての力をこめて、あなたの神なるエホバを愛さねばならない。あなたは自分自身のように隣人を愛さねばならない』。--マタイ、六ノ三三、新口。マルコ、一二ノ三〇、三一、新世。

 エホバはどのように私たちを教えますか。エホバは偉大な霊者であって、私たちは彼を見て生きることができません。それで、彼はいろいろの手段を用いておられます、たとえば「自然の本」、彼の御処置と摂理、聖霊、彼の見える径路あるいは地的の制度、そしてあらゆるものにもまして彼の御言葉なる聖書です。--出エジプト、三三ノ二〇。

   「自 然 の 本」

 エホバ神の「自然の本」は、人間に数多くのことを教えるために用いられています。科学者は、この本から教えをうけつづけています。そして彼らは神のみわざにならって、飛行機、船、および無数の他のものをつくっています。両親も、自然の本から教えをうけるべきでしょう。つまり、子供を訓育するときのこらしめの重要性ということについては、鹿、猿、および熊から教訓を学ぶべきでしょう。

 賢明な王ソロモンは、神がこの本によって用心深さと勤勉を教えていると示しました、「おこたる者よ蟻にゆきてそのなすところをみて知恵をえよ」。ソロモンよりも偉大な方イエス・キリストも、この本を用いて神の教えに言及しました。天の御父に信仰と信頼を持たせる教訓を与えるため、彼は空の鳥と野の百合に人々の注意を引きました。使徒パウロは次のように述べました、「自然そのものが教えているではないか。………女に長い髪があれば彼女の栄光になるのである。」--箴言六ノ六。マタイ、六ノ二六ー三〇。コリント前、一一ノ一四、一五、新口。

 しかし、あらゆるもののうちで最も大切なことは、神がこの本によって神の存在と性質を人間に教えておられるということです、「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。従って、彼らには弁解の余地がない」。ヨブもその事実を認識して次のように語りました、「今請ふ獣に問へ然らば汝に教へん、天空の鳥に問へ然らば汝に語らん、地に言へ然らば汝に教へん、海の魚もまた汝に述ぶべし。たれかこ

のすべての者によりてヱホバの手のこれをつくりしなるを知ざらんや」。たしかに神は自然の本によって教えておられます!--ロマ、一ノ二〇、新口。ヨブ、一二ノ七ー一〇。

   奇跡と摂理ー経験

 むかしから「経験は最善の教師」と言われています。しかし、その言葉は正しくありません。人は費用の高くつく苦痛にみちた経験をしても何も学ばないということがあります。そのような経験をしないで学ぶことができるなら、それははるかに良いことでしょう。しかし、神の僕たちは朽ちることのない全能の権威を持っています。それで、神についての知識、神の御心が最善であるという信仰、およびその御心に従うことは経験よりもはるかに良いものです。

 しかし、人間は弱い者であるため、また他の正当な理由のゆえに、エホバは時折、経験によって御自分の僕たちを教えます。すなわち、奇跡を用いるか、摂理を用いることによって、エホバは御自分の御心を示し、特定な教訓を銘記させます。エホバは荒野でイスラエル人にひもじい思いをさせ、それから奇跡的なマナで彼らを養いました。それは「人はパンのみにて生る者にあらず」ということを『彼らに知らせる』、つまり教えるためでした。--申命、八ノ二、三。

 イスラエル人アカンは貪欲な気持ちでみちたので、神は全国民がアイで敗北を受けるのをゆるしました。それはヨシュアと彼の国民全部にアカンの罪の深刻さを銘記させるためでした。そ

[534] の後、神は御自分の民が異邦人の支配に服するのをゆるしました。それは彼らを正気にもどすためでした。この考えは詩篇記者の次の言葉に示されています、「われ苦しまざる前にはまよひいでぬ、されど今はわれ聖言をまもる」。「願くはわれらに己が日をかぞふることを教えて智慧のこころを得しめ給へ」。--ヨシュア、七ノ一ー二六。シシ、一〇ノ九ー一六。詩、一一九ノ六七。九〇ノ一二。

 今日の神の僕たちは同様な奇跡を指摘することができません。しかし、神は時折摂理によって、彼らに対する御心を示します。それでむかしの一九一九年、必要な燃料が予期もしないのにたくさん得られたことは、特定なことがらにおいて神の御心が何であるかを示しました。また、一九五八年に適当なトレーラー宿泊地を得ることができなかったことは、神の御心国際大会のときに特定な天幕施設を持つことは神の御心でなかったようです。

    聖霊によって教えられる

 エホバ神は私たちに教えるために聖霊を用いられます。聖霊とは神秘的な三位一体の第三位ではなく神の活動力です。神はその活動力によって御自分の目的を遂行されます。エホバは、人々を霊感して御言葉を書かせるために聖霊を用いました。エホバは聖霊によってその御言葉の理解を与えられます。それで、初期クリスチャンたちは五旬節[:ペンテコステ] で聖霊をいただいた後になって、はじめて自分たちに対する神の御心を理解

しました。イエスが次のように前もって告げておられた通りです、「父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなた方にすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことをことごとく思い起こさせるであろう」。使徒パウロも次のように記しました、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである」。--ヨハネ、一四ノ二六。コリント前、二ノ九、一〇。

 啓発を与えるこの聖霊をいただくためには、神の御言葉についての知識、御言葉への信仰、その信仰に一致調和するわざが必要です。わたしたちが「御霊を受けたのは………聞いて信じた」からです。そのとき神は聖霊を願い求める私たちの祈りに答えます。しかしそれ以上のことがあります。すなわち、私たちは神の見える径路あるいは地的な制度と交わることも必要です。この事実は、初期クリスチャンたちの経験によって銘記されました。--ガラテヤ、三ノ二。使行、八ノ一五ー一七、新口。

    見える制度によって

 大いなる教訓者エホバは、ご自分の地的な子たちを教えるために人間を用いられました。アダムはエバを教えました。ノアは彼の家族を教えました。アブラハムは彼の家族を教えまし

た。モーセは彼の民を教えました。特にレビの支族とその祭司たちがいました。彼らは昔のイスラエルで教える仕事をした者たちです。「それ祭司の唇に知識を持つべくまた人彼の口より法をたずぬべしそは祭司は万軍のヱホバの使者(つかひ)なればなり」。この教える級の者たちが、その義務を行なうのに失敗した時、神は「その民とその住所をあはれむが故に……しきりにその使者[預言者たち]をつかわして……」マラキ二ノ七。歴代志下、三六ノ一五。

 彼は弟子たちを訓練して彼らを教える者にならせました。弟子たちはこんどは他の者たちを教えました。たしかに神はイエスにより「ある者を使徒、ある者を預言者、ある者を宣教者、ある者を牧者また教える者とし、奉仕のわざのために聖徒たちの訓練を目的とされた」。それで、使徒行伝の中には使徒たちの教えた活動のことがいたるところに記されています。--エペソ、四ノ一一、一二、新世。

今日も昔と変わっていません。全くのところちがってはいないのです。初期クリスチャン

[535] 会衆は、教えるわざを支持した統治体をエルサレムに持っていました。今日でもエホバの証者の新しい世の社会内には統治体があります。それは子供たちを教えるためにエホバによって用いられているという証拠を示しています。それは聖書とか聖書研究の手引きを出版するため、また奉仕者を訓練するために合法の協会を使用します。それはクリスチャンたちを援助して会衆に組織させます。かくして、彼らは神の御言葉を教える者であるというという責任を果たすことができます。今日、百七十九のちがった土地や島々では、九十万以上の奉仕者たちがエホバに教えられており、そしてこれらの者は今度は他の者を教えています。

    神によって霊感された本ー聖書

 エホバの民を教えるエホバの主要な道具は、彼が霊感を与えた御言葉、聖書です。神の民を教えるための他の道具を考えるさいにも、聖書のことは言及されていました。こう書かれています、「もろもろの国を教ふる者ただすことを為(せ)ざらんや、人に知識を与えるふるものしることなからんや、ヤハよなんぢのこらしめたまふ人なんぢの法(のり)ををしへらるる人はさいはひなるかな」。

 聖書の中には四つの基礎的な知識の分野があるといえます。最初に歴史と預言があります。それらは、過去の出来事と将来の出来事を告げるものです。神がおひとりでおられたときから始めて、すくなくとも将来の千年先までのことを告げています。--詩、九四ノ一〇、一二。

 歴史と預言に加えて、基礎的な真理あるいは教理についての聖書の教えがたくさんあります。聖書の教えの中でも主要な教えは御国の教えです。神はこの御国によって御自分の至上権を立証します。それに次ぐ第二番目の教えは、あがないについての聖書の教えです。つまり、神の御子がなぜ死んで、私たちが彼の死からどのように益をうけるかという教理です。洗礼と復活は、他の二つの顕著な聖書教理です。

 さらに、聖書の中には神の正義の原則がふくまれています。明白に述べられているだけでなく言及もされています。聖書は、私たちに対する私たちの義務ーー夫、妻、両親、子供たち、監督、そして奉仕の補佐たちの義務が何であるかを告げています。

 クリスチャンは、神の宗教の教える者、奉仕者であります。神の御言葉はまた、そのクリスチャンについての使命についても明白な指示を与えています。すなわち、この伝道のわざをする仕方、何を言うべきか、そしてその提供の仕方等です。このすべてにおいて神の御言葉は明白ないましめを述べ、私たちに神の模範を示し、かつ義者と悪しき者についての記録を用いることにより、何をすべきか、そして何を避けるべきかを私たちに教えます。

 エホバに教えられるためには、エホバを恐れて柔和でなければなりません。なぜなら、柔和な人は教えをうけるからです。「エホバをおそ

るる者はたれなるか、これにそのえらぶべき道をしめしたまはん」。エホバは「その道をへりくだる者にしめしたまはん」。私たちは、教えをうけたいという態度を示すべきです。「エホバよなんぢの大路をわれにしめし、なんぢのみちをわれにおしへたまへ」。「汝はわが神なり、われに御旨をおこなふことををしへたまへ」。--詩、ニ五ノ一二、九、四。一四三ノ一〇。

 この世は、エホバから教えをうけていません。この世はそのことを明白に示しています。エホバはすべての知恵と知識を持っておられ、この全宇宙内で最大の教訓者であり教えを与える者であることを考えるとき、それはなんと愚かなことでしょう!すでに学んだごとく、エホバはいろいろのものを使用して私たちを教えてくれます。例えばエホバの「自然の本」エホバの摂理、その聖霊、その見える制度およびエホバが霊感を与えて書かせ給うた御言葉です。エホバは、彼を恐れる者そして柔和な者たちをいつでも教えられます。


 エホバに教えられないことは、滅びを意味します。なぜ滅ぶのですか。エホバは悪い者たちの死をよろこびません。(エゼキエル、三三ノ一一)エホバに教えられなさい。そうすれば、あなたは彼とあなた自身および他の者たちをよろこばすでしょう。(箴言二七ノ一一)私たちの生活しているこの時代を判断するとき、ぐずぐずのばすべきではありません。ただちにエホバに教えられるようにして、生きなさい。

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