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    あなたにとって「主の祈り」はどんな意味がありますか

 昨年の夏、アメリカの最高裁判所が公立学校の教室で祈りを唱えることを禁止したあと、その裁定に対して多くの批判が出ました。にもかかわらず、祈りをする特権を高く評価する人々は相変わらず、適当な時にひとりで、あるいはほかの人たちと一緒に祈りをささげています。しかし、祈ることも大切ですが、祈りの意味を理解することも重要です。ただ機械的に言葉をくりかえすだけでは、なんの価値もないからです。そういえば、よくくりかえして祈られる「主の祈り」、つまりある人々がいうわれらの父の祈りを思い出します。これはイエスが祈られた祈りではなく、一つのモデルとしてイエスが弟子たちに教えられたものです。現代訳の聖書ではその祈りはこうなっています。「天にいますわれらの父よ、あなたの御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、きょうも私たちにお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください」。(マタイ、六ノ九ー一三、新世)この祈りにはどんな意味がありますか。もしあなたの子供や、キリスト教のことを知らない人が、「われらの父とは誰ですか。そのお名前は? なぜ神の御国や、御心がなること、日ごとの食物を祈り求めなければならないのですか」と聞くなら、あなたはそれに対して満足な答えができますか。あなたにとって、この祈りにはどんな意味がありますか。ではこれをどう理解すべきかを確かめるために、ひとつひとつの表現を調べてみましょう。

    「天にいますわれらの父よ」

 この前置きによって私たちは、自分が従属的な、劣った地位にあることをけんそんに告白します。神は父と呼びかけられています。それは神が、最初の男と女をお造りになったばかりでなく、むしろ神の御子イエス・キリストの犠牲を通して、最後にすべての従順な人類の父となられるからです。私たちは自分の子供が親に従順であることを期待しますが、それと同じく、私たちは神に対して従順ですか。神が聖書をとおして話される時、それに注意を払い、神の義のご要求と一致しようと努力しますか。そうするときにのみ、私たちは神を「われらの父よ」と呼ぶことができます。

 この祈りは、「神は天にいまし、あなたは地上におる」と言うことを思い出させてくれます。(伝道、五ノニ、新口)神は上位で、目に見えない霊的領域に住んでおられます。しかし私たちは地に属する人間ですから、その領域にはいることはできません。(コリント前、一五ノ五〇)人間は神より劣った者であるとはいっても、祈りをとおして神に話しかける貴重な特権をもっています。神を愛する人々は、神の御名と令名を誇りに思っているので、当然このように祈ります。

 「あなたの御名があがめられますように」。しかし、あがめられなければならない、つまり、聖別されなければならない、あるいは聖なる者として扱わなければならない神の御名とは何ですか。ある人は間違ってイエスだというかも知れませんが、そうではありません。なぜなら話しておられたのはイエスだったからです。そしてイエスは、「わたくしの名」ではなくて、「あ・な・た・の・御名があがめられますように」と言われています。神はみずから、ご自分の

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名前を私たちに告げておられます。「われはエホバなりこれわが名なり、我はわが栄光をほかの者に与へず、わがほまれを偶像にあたへざるなり」。

 聖書はそのエホバと言う名前を、他のすべての名前区別し、またすべての名前の上にあげて、七千回以上使っています。その意味をよく理解して「主の祈り」をささげる人の気持ちは、詩篇記者の次の祈りの中によく表現されています。「されば彼らはエホバてふ御名を持ち給ふ汝のみ全治をしろしめす至上者(いとたかきもの)なることを知るべし」。(詩、八三編一八節)神の子たちは、神の御名にあびせられた非難がきれいに拭い去られ、他のすべての名の上にあげられることを切望するので、御国も祈り求めます。

 「御国がきますように」。あなたはこの御国が、実際の政府であることをご存知でしたか。それは平和の君キリスト・イエスに託された王の支配です。そしてイザヤの預言は、「その政事(まつりごと)と平和とはましくははりて窮(かぎ)りなし」と約束しています。(イザヤ、九ノ六、七)天の高められた地位にあるキリスト・イエスは父の御名によって行動し、地からすべての悪を根絶して完全な平和をもたらすことにより、その御名を清められます。ー詩、七ニノ一ー七。

 地上の悪い政府は、今日まで幾世紀にもわたって、神のこのみこころを成し遂げる能力のないことを証明してきたばかりでなく、エホバの御名を汚し非難してきました。そのためにクリスチャンは、神の御国がきてそれらの政府を滅ぼすことを祈り求めます。ダニエルは神の御国がそれを行なうことを預言していました。「それらの王たちにの世に、天の神は一つの国を立てられます。……これは……これらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです」。(ダニエル、二ノ四四、新口)神の御国はすでにクリスチャンたちの祈りに対する答えとして、サタンの世に敵して「きて」すべての悪を一掃しなければなりません。その御国をとおして、次の願いをも満たされるわけです。

 「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」。 この祈りによって人は、神がその御国をとおして、ご自身のみこころを天に行われるように、地上でも行ってくださることをお願いするのです。サタン悪魔とその使いたちは天から追い出されたので、いまや神のみこころは天で行われています。しかし地はどうでしょうか。--黙示、一二ノ七ー一二。

 人間が血なまぐさい戦争を行なって、互に殺し合うのは確かに神のみこころではありません。また、人を無能にする苦しい病気にかかってついに死んでしまうのも神のみこころではありません。ですから、神のみこころが地上になるようにと言う祈りがかなえられるということは、最後に地球上の全住民が、「そのつるぎを打ちかえて、すきとし」「もはや戦いのことを学ば」なくなるという意味です。そして神は「人の目から涙を全くぬぐいとって」下さるので「もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みも」なくなります。この祈りはクリスチャンになんと輝かしい希望を思い起こさせてくれるのでしょう。ーイザヤ、二ノ四。黙示、二四ノ四、新口。

 神の関心事に直接関係のある三つの祈りの後、個人のために四つの願いがささげられます。この点、主の祈りは正しい順序を示していて、いつの場合でも神を第一にしなければならないこと、そして人間の最高のしあわせは、神の関心事を追及することから来ることを気づかせてくれます。

 「わたしたちの日ごとの食物をきょうも私たちにお与えください」。この個人的な願いが利己的なものでないことに気をつけてください。それは、他の人々を含めて、「私たちに」とお願いし、また、「きょう」必要な物質だけを祈り求めているからです。ルカはイエスのこの言葉を、「わたしたちの日ごとの食物を、そ・の・日・の・必・要・に・応・じ・て・お与えください」としています。(ルカ、一一ノ三、新世)このようにしてクリスチャンは今日多くの心のわずらいの種となっている、物質主義的な性質にならないように守られています。またその祈りのとおりに、神が日ごとの必要なものを備えてくださることを、信仰をもって期待できます。といってもこれは何もしないでいても、神が奇跡的に必要な

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物を備えてくださるという意味ではありません。人は、その祈りにふさわしく、食物、飲物、衣服を得るために働かなければなりません。しかし『まず神の国と神の義とを求める』なら『これらの他の者は添えて与えられる』という確信を持つことができます。--マタイ、六ノ三四。テモテ前、六ノ六-八。

 「わたしたちに負債ある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください」。 このことが何を意味するかについて、イエスは少しも疑問を残しておられません。この模範的な祈りのすぐあとで次のように説明されています。「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの天の父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう」。(マタイ、六ノ一四、一五、新口)それで、み父が私の祈りに答えて下さらないのは、私がほかの人を許すという条件を満たしていないからであろうか、と自問してみるのはよいことです。もし私たちが、自分自身とほかの人たちのためにこの祈りをしたいと思うなら、この祈りの意味をよく理解することがどうしても必要です。

 「わたしたちを試みに会わせないで……」。 多くの人はこの表現に頭をひねります。神はご自身の民を試みに会わせるという意味でしょうか。そういうわけではありません。ヤコブはこう書いています。「だれでも誘惑に会う場合、『この誘惑は、神からきたものだ』と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない」。(ヤコブ、一ノ三、新口)しかしながらエホバは、サタン悪魔が、ご自身のしもべたちを誘惑することをゆるされます。なぜ神はそれをおゆるしになるのでしょうか。それは悪魔が、もし機会が与えられるなら、全人類を神から引き離すことができると豪語したからです。では、この祈りに答えて、神がその民を試みに会わせないというのはどういうことでしょうか。

 もともとこれには二つの方法があります。その一つは、試みに耐えうるように彼らを強くすることです。神の御言葉である聖書、聖霊、忠実なしもべたちの制度をとおして神はそれをなさいます。そして二つ目は、前途に横たわる誘惑や試みを予告することです。初期クリスチャンたちはそのことを予告されていました。ですからそのひとりは、「わたしたちは、彼の[サタン]策略を知らないわけではない」と言うことができたのです。(コリント後、二ノ一一、新口)もし人が、前述の神のご準備をよく用いて、この祈りにふさわしく行動するなら、誘惑に陥ることはないでしょう。そういう人の場合、誘惑は悪影響をおよぼすことができず、かえって、次の聖書の保証が適用されるでしょう。神は、「あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。ーコリント前、一〇ノ一三、新口。

 「悪しき者からお救いください」。 子供が試みに会いながらも忠実を保つなら、愛情の深い地の父親は、子供を悪い攻撃者や反対者から救い出さないでしょうか。天のみ父も同じことです。悪しき者、すなわちサタン悪魔の攻撃から子供たちを救い出します。その攻撃から逃れる道を備えて下さいます。そして、この組織制度の終りの時、すなわちサタンとその悪い組織を全部滅ぼされる時に、彼らを救い出して新しい世に入れられます。そしてその新しい世で、長い間祈り求めてきた神の御国の祝福を永遠に楽しむでしょう。ーぺテロ後、三ノ一三。

 「欽定訳」では「国と力と栄光はとこしへに汝のものなればなり、アァメン」と言う言葉が、イエスの模範的な祈りの後につけ加えられています。しかしこれらの言葉は、シナイチカス、バチカン一二〇九、コデックス・ベザエおよび六世紀のパリンプセスタス・ジュブリネシスなどの古い写本には見当たりません。ですからこの言葉は、明らかに本物ではなく、現代訳の聖書でははぶかれています。

 イエスはこの祈りを、弟子たちに意味も考えずに機械的に繰り返して言わせるために教えたのではなく、弟子たちの注意を、最も重要なものー神の御名と御国ーに集中させるために教えられたのです。

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[研究記事]

      一般祭司職ーキリスト教国が忘れた教義


     「汝らは……王なる祭司・潔(きよ)き国人なり」

 「一般祭司職」というクリスチャンの教義は、学校あるいは日曜学校に行った人でもおそらく教わっていません。事実、この事をはじめて聞く人も多いと思います。キリスト教国においてこの教えは忘れられ、無視されてきました。そしてこれには相当のわけがあるのです。何世紀ものあいだ、この教えは牧師の説教の中にほとんど採りあげたことがなく、堅信礼を受ける子供たちにも教えられず、神学校の学生の読むぼう大な教義の本の中でも、それについては一頁か二頁書いてある程度で、普通の人が本屋に行って宗教書の欄をさがしても、あるいは図書館に行っても、この教えに関する本はほとんど見当たりませんでした。それでも最初のクリスチャンはこの教えを知り、また実践しました。

 2 この状態は近年、変化を見せており、世界の神学界において、一般祭司職という昔からの教えは再び陽の目を見、クリスチャン教会の本質また統一といった重要な問題と共に論議されるようになりました。神学の一教授の言葉を借りれば、「これを積極的に進めているローマ・カトリック教会をはじめ、福音派諸教会において、今日こ

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1 一般祭司職に関する教義は、なぜ忘れられ、顧みられていない教えと言えますか。

2 一般祭司職に対する関心は、近年どのように高まっていますか。

れほど熱心に、またまじめに論議されている問題は他にない」ということです。では一般祭司職とは何ですか。簡単に言えば、それは霊によって生み出されたクリスチャンがすべて祭司であるという、聖書の教えです。この教えを十分に理解するには、歴史的な背景を知ることが役に立ちます。

 3 祭司は神につかえる者です。イスラエル民族には、律法の定めによって祭司職が設けられていました。「祭司たるレビの子孫等そこに進み来るべし彼らは汝の神エホバが選びて己に事(つか)へしめ……給(たま)ふ者」。このため祭司職はよくレビの祭司職と言われました。モーセの次の言葉に要約されている通り、祭司職の務めは二通りありました。「彼らはあなたのおきてをヤコブに教え、あなたの律法をイスラエルに教え、薫香をあなたの前に備え、燔祭を祭壇の上にささげる」。「彼らはエホバの律法の書を携えユダヤにおいて教誨をなしユダの邑をことごとく行きめぐりて民を教へたり」。このようにして祭司は神につかえる者でした。またレビ族のアロンの子たちも、民のために香、穀物、動物をエホバにささげて、神に仕えました。ー申命、二一ノ五。三三の十、新口。歴代下、一七ノ九。マラキ、二ノ七。レビ記、一ー七および一六章。

 4 大祭司、犠牲、教え、宮のつとめに関連し

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3 (イ)祭司とはだれですか。(ロ)レビの祭司職とは何ですか。(ハ)レビの祭司の二つのおもな務めは何でしたか。

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た儀式をともなうレビの祭司職、さらにはいろいろなものを備えた宮自体が、きたるべき大きな事の型であったことは、ヘブル書に説明されています。犠牲の大部分とくに贖いの日に行われた事柄は、人を贖うためにご自分の生命を与えたキリスト・イエスの大きな犠牲を表わしていました。従ってイエスが死んでよみがえり、天に昇り、その生命の価値が贖いとして天でエホバ神に嘉納されたとき、レビの祭司職はその預言的役目をはたし終えたのです。イエスの死んだ瞬間、宮の「聖所」と「至聖所」を隔てていた大きな幕が上から下まで奇跡的に裂けたことは、レビの祭司職が終わったことを示しています。その幕を裂くことによって、エホバはユダヤの大祭司のささげる犠牲がもはや価値のないこと、レビの祭司職の務めはもはや必要のないことを示されました。その家すなわち宮は捨てられてしまったからです。--マタイ、二七ノ五一。二三ノ三八。ヘブル、九ノ一ー一五。

 5 それでもこのことを理解しなかったレビの祭司はイエスの死後もその務めを続け、動物の犠牲をひきつづき宮に入れました。しかしそうすることの根拠はもはやなかったのです。律法契約は神の目から見て無価値のものとなりました。七〇年にローマ人がエルサレムを

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4 (イ)レビの祭司のささげた動物の犠牲は何を予影していましたか。(ロ)レビの祭司職はなぜ終わりを告げましたか。 エホバはそのことをどのように示しましたか。

5 レビの祭司職のつとめは、どのようにして実際に終結を余儀なくされましたか。

滅ぼしたとき、神はこの祭司職を事実上終わらせて、これらの人々が如何に無用のことを行っていたかをはっきり示しました。それは抹殺され、あるいは散らされ、宮は滅ぼされました。そしてレビの祭司職を復興することは不可能です。なぜなら今日、自分がイスラエルのどの支族の者かを明言できるユダヤ人はひとりもいません。-コロサイ、二ノ一四。

      新しい祭司職

 6 レビの祭司職を抹殺してしまった神は、もはや地上に祭司の必要がないことを示そうとされたのですか。決してそうではありません。このすべての出来事は、実態、真のものの到来とともに、型、影すなわち象徴が取り除かれたということに過ぎません。それでレビ族の祭司が、たとえ位は異なっても神の大祭司であるイエスを拒絶し、また自分たちの務めはもはや終わったことを認めようとせず、さらに大きな特権を与えられることを拒んだとき、彼らは強制的に除かれました。-ヘブル、一〇ノ一。

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6, 7 レビの祭司職が除かれたことは、以後、地上に祭司職が置かれないということですか。その答えを証明しなさい。

 7 パウロは祭司職、その法的な根拠、律法の変化を次のように説明しています。「もし全うされることがレビ系の祭司制によって可能であったらー民は祭司制の下に律法を与えられたのであるがー何の必要があって、なお、『アロンに等しい』と呼ばれない、別な『メルキゼデクに等しい』祭司が立てられるのであるか。祭司制に変更があれば、律法にも必ず変更がある

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はずである」。アロンでなく、メルキゼデクに等しい、新しい大祭司は、キリスト・イエスであり、大祭司であるキリスト・イエスの下には地上に従属の祭司がいます。-ヘブル、七ノ一一、一二、新口。

 8 これらの従属の祭司となるのはだれですか。レビの祭司職の実体は何ですか。ヘブル書七章から十章までの間で、パウロはまず古い契約の大祭司アロンと、新しい契約の大祭司キリスト・イエスとの類似点を述べ、次いで十章の中で従属の祭司であるレビ人とそのつとめにふれて、レビ人の祭司の後には動物の犠牲を携えない祭司職が来ることを説明しています。「兄弟たちよ、こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、さらに神の家を治める大いなる祭司があるのだから、心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか」。「わ・た・し・た・ち・は・……からだは清い水で洗われ、まごころをもって……みまえに近づこうではないか」と述べたのはレビ人の清めの儀式のことに言及したので、パウロはこの言葉によって、レビの祭司職を継ぐ者となるよ

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8 神の定めに従い、だれがレビの祭司に代わりましたか。 それを証明しなさい。

うにクリスチャンの兄弟たちに呼びかけています。従って新しい祭司職をつとめる人々、賛美と良いわざの霊の犠牲を地上でささげ、神に仕える新しい職を持つのが、クリスチャンの会衆あることは明らかです。-ヘブル、一〇ノ一九ー二二。一三ノ一五、一六。レビ、一六ノ四。民数、八ノ六、七。

       相   似

 9 古い祭司職と新しい祭司職の間には数多くの相似があって、両者のあいだに関係のあることを確証しています。クリスチャンはレビの祭司と同じく神のことばの宣教者です。「神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務めをわたしたちに授けて下さった。すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音ゆだねられたのである」。-コリント後、五ノ一八ー二〇。

 10 しかしこの相似を指摘して、クリスチャン会衆を直接の祭司と呼んでいるのは使徒ペテロです。実際の宮、レビの祭司のささげた実際の犠牲との比較を考えつつ、ペテロは仲間のクリスチャンにこう説明しています。「この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石

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9 クリスチャンは、どうしてレビの祭司に似た奉仕者と言えますか。

10 ペテロは、レビの祭司職とクリスチャンの祭司職との相似をどのように示していますか。

となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。……しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。あなたがな[??た??]は、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり……」。ペテロ前、二ノ五、九、一〇、新口。

 11 クリスチャン祭司職のささげる「霊のいけにえ」はまず何よりも神の「みわざを……語り伝える」ことです。ヘブル書十三章十五節において、パウロがこれを「さんびのいけにえ、すなわち彼の御名をたたえるくちびるの実」と呼んでいることからも、それは確かです。パウロはさらにこう述べています。「善を行なうことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神はこのようないけにえを喜ばれる」。ヘブル書十章において、パウロは、キリスト・イエスの下にある新しい祭司職に任ぜられる人々がだれであるかを述べ、更に二十三ー二十五節において、この新しい祭司職の祭司の務めとして少なくとも三つの異なった事柄を述べています、「また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くこと

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11 (イ)ペテロ前書二章五節にある「霊のいけにえ」とは何ですか。(ロ)ヘブル書十章二十三ー二十五節によれば、祭司としてのクリスチャンの務めは何ですか。

なくしっかりと持ち続け、愛と善行とを励むように互いに努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互いに励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」。-ロマ、一二ノ一。

      相 違 点

 12 しかし二つの祭司職の間には、ひとつの点で相違があります。レビの祭司職は「一般」祭司職と呼ばれるものではなく、いわゆる「特別」なものでした。それには一般的な点が少しもありません。祭司はレビ族の男子に限られ、犠牲をささげる祭司に至っては最初の大祭司アロンの家の者に限られていたので、祭司の職は家柄と性によって制限されていたことになります。その職務に限らず他の事柄においても、祭司は律法の定めにより独自な立場としてひとつのクラスを形づくっていました。レビ人は領地を与えられず、従ってその生活のために特別な準備が設けられていました。レビの支族は祭司の務めをする者として分けられて後、イスラエル十二支族のひとつに数えられず、ヨセフの子エフライムとマナセの支族の数をみたしました。このようにしてレビ人はユダヤ人社会の中で特別なクラスであり、特別な立場あるいは位をもつ人々でした。祭司と人々との

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12 レビの祭司職は、なぜ「特別」祭司職と言われますか。

間には明確な区別があったのです。イスラエルの祭司職は「特別な」祭司職でした。-民数、八ノ一四。一八ノ二〇ー二四。

 13 新しい祭司職の場合はそれとは異なっています。ペテロは「汝らは……王なる祭・司・、・潔き国・人・・神につける民なり」と述べています。ペテロはクリスチャンたる祭司を国民と呼んでいるのです。これはすなわち「新しい神のイスラエル」です。ここで祭司と国民は同一のものであり、この国民の中に「祭司」と「人々」の区別はありません。この民のすべての者がおのおの祭司であり、従ってこれは「一般」祭司職です。-ガラテヤ、六ノ一六。

 14 クリスチャンの間には区別がないという考え方は、別に新しいものではありません。クリスチャンがキリストのからだの成員として描かれている場合にそれは見られ、「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない」としるされています。またクリスチャンが神の子となることにおいても、それは見られます。神の子となることによって各クリスチャンは大祭司イエス・キリストを通し、天の父にはばからず近づき得るのであって、人間の仲保者すなわち祭司を必要としません。イエス・キリストご自身が仲保者だからです。-ガラテ

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13 (イ)一般祭司職とは何ですか。(ロ)ペテロによれば、クリスチャンの祭司職は一般、特別いずれの祭司職ですか。ペテロの言葉はどのようにそれを示していますか。

14 クリスチャンの祭司職が一般のものであることを証明する事実を、他にあげなさい。

ヤ、三ノニ八。四ノ五ー七。ヘブル、四ノ一六。テモテ前、二ノ五。

      一般祭司職の起源

 15 その初めからクリスチャン会衆内に一般祭司職を力強く設立されたのは、エホバ神ご自身でした。五旬節の日、神は初めて会衆の成員となった人々に聖霊を注ぎました。この御霊を受けた人々は油そそがれて従属の祭司となり、その時その場で祭司の務めを始めるように御霊によって助けられたのです。この人々は御霊の力によって神とそのお目的を伝道し霊の供えものをささげ始めました。そこに居たおよそ百二十人のうち、わずかな人々が神に選ばれて牧師あるいは祭司となり、他の人々は聞くほうの人、いわば一般信徒になったというのではありません。この点に注意して下さい。「一・同・は聖霊に満たされ……神の大きな働きを述べ」たのです。ー使行、二ノ四、一一、新口。

 16 初期の会衆内で、一般祭司職という教えが理解され、また実践されていたことは、多くの点から見て明らかです。祭司となった人々は大祭司キリスト・イエスの足跡に従うように召されました。イエスは地上で教えを述べた間、新しい大祭司の務めを自らはたしただけでなく、追随者にも同じことをするように教えて、祭司の

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15 クリスチャン祭司職の一般性を定めたのは、どなたですか。どのように?

16 五旬節の日以前においてさえ、イエスは一般祭司職の務めに備えて弟子たちに何を授けましたか。

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務を一般的なものにしました。-ルカ、一〇ノ一ー二。

 17 マタイ伝二十八章十九節に記録されている如く、イエスが宣教の使命を与えたとき、その場にいたのは十一人の使徒だけであり、したがってこの使命は十一人の使徒たちのみに与えられたのだとする論があります。しかし「五百人以上の兄弟たち」もまたそこにいたものと思われます。(コリント前、一五ノ六、新口)使徒たちは多くの国々に新しい会衆を設立するために他のだれにもまして働きました。それは事実です。しかし使徒だけでそのことをしたのではありません。すべての人が力を合わせました。パウロが初めてローマに行ったのは、そこに会衆を建てるためではありませんでした。ローマにはすでに会衆があったからです。そして兄弟たちは町の外にまでパウロを迎えに出ました。-ロマ、一ノ八、一三。使行、ニ八ノ一四ー一六。

 18 使徒たち自身、宣教の命令が使徒だけに与えられているとは考えませんでした。パウロがテサロニケの兄弟たちをほめた次の言葉に注意して下さい。「主[エホバ、新世]の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりでなく、至るところで、神に対するあなた方の信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる

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17ー19 マタイ伝二十八章十九節に記録されているイエスの与えた宣教の使命が、十一人の使徒だけに与えられたのでないことは、どうしてわかりますか。

必要はないほどである」。-テサロニケ前、一ノ八、新口。

 19 テトスやテモテは教える者でしたが、いわゆる一般信徒を教えるために遣わされた奉仕者ではなく、すでに教える者となった人々を教える奉仕者でした。「あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい」、とパウロはテモテに書き送りました。(テモテ後、二ノ二、新口)これは黙示録二十二章十七節の言葉とも一致してしています「御霊も花嫁も共に言った、「来たりませ」、また聞く者も「来たりませ」と言いなさい」。(新口)一般祭司職の務めを活発にはたすまでに進歩することのおそかったヘブル人に、パウロは失望しました。「あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である」。この会衆内に一般信徒の存在する余地はありませんでした。-ヘブル、五ノ一二、新口。

 20 歴史を見てもこのことは確証されます。デンマークのハル・コッホ教授著、「教会史」に次の言葉が見えます。「使徒時代およびその直後の何十年においてのみ、キリスト教の布教を天職としてそれに没頭した真の宣教者がいた。この点を別にすれば、会衆の新しいメンバーを

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21 初期教会の会衆内の僕は祭司の階級を構成していましたか。

獲得したこれらの人々は、商人、労働者、奴隷など、さまざまな社会的地位を持つ普通のクリスチャンであった」。次のことは間違いはありません。一般祭司職は初期クリスチャン教会の特色でした。その成員は一人のこらず祭司であって、会衆の内外で神の言葉を伝道し教えるのが自分たちの務めであると心得ていました。この人々は自分たちにそそがれた神の御霊によって支えられていました。教会に一般信徒というものは存在しませんでした。では今日、キリスト教国の教会で見られる、説教する牧師と聞くだけの一般信徒の別は、いったいどうして生じたのですか。

      悪魔的な変容

 21 初期クリスチャン会衆は活動する組織であって、そのため成員の中のある人々を特別な奉仕に任命することが必要でした。このような奉仕の地位に任命されるのは、円熟した古い人、いわゆる「長老」(ギリシャ語で、Presbyteros[ストロング・ナンバー:4245、グッドリックナンバー:4565])でなければなりません。古い人の中から会衆の監督(ギリシャ語で、episkopoi[ストロングナンバー:1985:グッドリックナンバー:2176])と補佐の僕たち(ギリシャ語、diakonoi[ストロングナンバー:1249:グッドリックナンバー:1356])が選ばれました、初期教会における一般祭司職について言えることですが、これらの任命された人々は、祭司職についたのではありません。それはクリスチャン兄弟の僕となったと

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いうに過ぎません。-使行、六ノ一ー七。テトス、一ノ五。ペテロ前、五ノニ、三。マタイ、二〇ノ二五ー二八。

 22 しかしパウロは真実に預言しました。「わたしが去った後、凶暴なおおかみが、あなたがたの中に入り込んできて、容赦なく群れを荒らすようになることを、わたしは知っている。また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲がったことを言って、弟子たちを自分の方に引っ張り込もうとする者らが起こるであろう」。一般祭司職が全く失われたのは、利己的な人々が出て権力をふるったことの悲しい結果のひとつでした。教会史によれば、第二世紀において会衆内の僕は徐々に、しかし着実に地位を高めて特別な祭司の階級を形成するようになりました。会衆の監督すなわちepiskopoi(エピスコポイ)は司教の僧服を着け、古い人すなわちpresbyteroi(プレスビテロイ)[:長老職??神殿に於けるサンヘドリンのユダヤ人の年長者:教会において、一般信徒の長者:代表]は僕になり得る円熟した古い人というだけに留まらず、牧師の地位を占め、補佐の僕たちは今日の助祭[:ディーコン??:執事??]になりました。人々は自分勝手に地位を得て階級制度を作りあげ、これは何世紀ものあいだ、聖俗両面にわたって一般信徒を厳重に支配してきました。-使行、二〇ノ二九、三〇、新口。

 23 ローマカトリック教会の祭司制はこの著しい例です。その祭司職の仕組みを模

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22 会衆内の僕は、後日どのように祭司の階級を作りあげましたか。

23 (イ)カトリック教会の聖職はどの点で、一般から特別祭司職に変化した、いわゆるクリスチャン聖職の著しい手本となっていますか。(ロ)この変化はなぜ悪魔的なものでしたか。

倣し、権力、教育、外見において一般信徒の上に位する別個の階級を作っています。またそれだけに留まらず、実際に祭壇のある寺院を建築し、そこにはべる者には特別の衣服を着せて一般の教会員とは区別しています。特別祭司職に完全に戻るため、教会はキリスト・イエスをその祭壇上に意のままに引き下ろしてイエスの文字通りの肉と血をローマカトリックのミサにおいて犠牲にする権を特別な聖別によって有すると主張します。一般祭司職から特別祭司職への変容は、クリスチャンの外見が失われない限度で最大限に行われました。神の言葉を活発に伝道する神の僕になる権利を教会員から奪い、教会員を無知で、しばしば文盲な人々の集団にしてしまった聖職者は、教会から神の御霊を消し去り、福音を広めた初期クリスチャンの強い力を教会から奪ってしまったのです。こうして神とキリストに関する真理が世に勝つはずであるのに、その事を成し遂げるような革新は成就されませんでした。この変容は悪魔的なものです。

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「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督にお立てになったのである。わたしが去った後、凶暴なおおかみが、あなたがたの中に入り込んできて、容赦なく群れを荒らすようになることを、わたしは知っている」。-使行、二〇ノ二八、二九、新口。

[別の研究記事]

        今日の一般祭司職

      「その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ、あなたがたの息子、娘は預言をし、あなた             

      たの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。その日わたしはまたわが霊をしもべ、

      はたしめに注ぐ」。--ヨエル、2:28,29,新口。

 何世紀ものあいだキリスト教国の神学者は、その支持する教会組織が特別祭司職を持つゆえに非クリスチャン、非聖書的なものであることを承知していました。しかし彼らがこれを問題にし始めたのはこの二十世紀になってからです。いまでは「一般祭司職」に関する論議が盛んに行なわれていま

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1, 2 一般祭司職の復興を目指す、キリスト教国の今日の運動を推進しているのはだれですか。その動機は何ですか。

[366]

す。何世紀にもわたって無活動にされてきた「一般信徒」を再び活動させようとするキリスト教国の現在の運動を先に立って進めているのは、意外なことに、階級組織で固められたローマカトリック教会です。

 2 しかし注意すべきことに、その動機は教会組織を初期教会の一般祭司職に戻そうというよりも、むしろ聖職を希望するローマカトリックの男子がきわめて少ないために生じた切実な必要に対処することにあるのです*。聖職者の不足は世界権力の獲得を挫折させる恐れにもつながるため、カトリックの一般信徒を活動させる必要が起きました。教会における一般祭司職が論議される理由はここにあり、そうでなければこの古い教義に注意が喚起されることはまずなかったでしょう。

 3 一九五七年、イタリヤのローマで開かれた第二回世界俗人使徒職会議において、法王ピオ十二世はカトリック教会内に二つの使徒職すなわち「聖職たる使徒職」と「俗人の使徒職」とがあることを説明しました。「宗教を教えることを委ねられた俗人は、聖職授任命令を受けた事実またはおそらくは教えることを唯一の専門的な仕事にしていることによって、俗人使徒職から『聖職たる使徒職』に移るのであろうか」。

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* 一九五七年、第二回世界俗人使徒職会議における法王ピオ十二世の話、「俗人使徒職」。SS15

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3 法王ピオ十二世によれば、すべてのカトリック信徒が参加できる一般使徒職がありますか。 使徒職に与たる一般信徒は、祭司と同等になりますか。


法王の提起したこの質問の答えは否でした。教えを授ける実際の権は法王と司祭にのみ属しているのです。「助祭、俗人を問わず他のすべての者は、忠実な人々を正しく教え導くことを教会当局から委ねられたのであり、その限りにおいて強力者の役をはたす」*。

 4 つまり一般祭司職がどれほど論議されていても、カトリック教会がいまよりのち品級を廃して一般信徒に聖書と聖書研究の手引きを与え、すべてのカトリック信徒が神の言葉を他の人に伝道してクリスチャンの務めをはたすようになることは期待できないのです。法王ピオ十二世によれば、「厳密な意味においては、すべてのクリスチャンが俗人使徒職に召されているのではない」¥ので、俗人の中の選ばれ、特別な訓練を受けた少数者だけがこのために用いられるのです。そしてこのような最高位にある俗人宣教者には年額一万二千ドルまでの俸給が教会から支払われます¥¥。それではこれはだれでもが与れるというものではありません。

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*俗人使徒職 SS SS 5ー9,  ¥同 29, ¥¥一九六一年六月九日付タイム誌、西洋版、五六ページ。

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4 ローマカトリックの一般信徒が参加するように要望されている祭司職はどれほど一般的なものですか。

5 一般信徒は「それほど正確でない用語法」において使徒職に与たると、法王が述べているのはなぜですか。彼らには何が期待されていますか。

 …………

 6 これは初期クリスチャン一般祭司職の熱心な伝道活動よりも、ある種の政治活動で使われる潜入作戦に似ています。一般のカトリック信徒のうち、もっとも重要な者はいわゆるカトリック・アクションであり、教会はヒトラー支配下のドイツにおいてナチスがナチ党軍隊を用いたのと同じやり方で、この準宗教運動をし

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6  一般祭司職を実践していると言われるカトリックのプログラムは、何を思い起こさせますか。 それは過去において何のために使われましたか。

ばしば利用してきました。たとえば第二次世界大戦中及びその直前にアメリカ合衆国その他の国々において、教会はエホバの証者の宗教的な集会で語られる事実を好まなかったため、カトリック・アクションを用い、暴力によって証者の集会を中止させようと図りました*。

 ………「……今日すべての人は自分の利益のみを求め、キリストの益を求めていない。その心は燃えておらず、消えかけた燃えさしのようである。たいていのカトリック信徒の考えに従えば、教会は加入しているだけのもので、教会を活動的な組織と見る考え方は忘れられてしまった」¥。

 ………

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¥  Actes  du  ler  Congre's  Mondial  pour   L'Apostolat   des   Laiques,   p,   181.

      新教と一般祭司職

 9 一般祭司職の教えを再び明るみに出したのは、改革者のルーテルでした。ルーテルは聖書の熱心な研究者であり、特別祭司職を設置したカトリック教会が如何に初期教会から離れ去ったかを見てとりました。そして自分の見出したものを大いに活用して法王と戦いました。「われわれすべてはバプテスマを受けたとき、聖別されて祭司となった」と、ルーテルは強調し、すでにバプテスマを受けたクリスチャンを任命の儀式によって祭司にするという法王の考えを嘲笑しています。「法王あるいは司祭が塗油式、剃髪式を行い、平信徒とは異なる衣服を人に着せて任命し、聖別した所で、その人は偽善者か愚か者になるのがおちで、クリスチャンあるいは霊的な人にはならぬ」*。

 10 こうして……、非常な熱意をいだいて一般祭司職を実践することにとりかかりました。そしてクリ

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* マルチン・ルーテル  Til  Det  tyske  folks  Kristene  adel.

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9 (イ)何世紀ものあいだ忘れられていた一般祭司職に、どのように注意が喚起されましたか。(ロ)ルーテルは一般祭司職をどのように説明しましたか。

スチャンのなすべき最重要なわざは、祭司の務めのすべてを包含するわざ、すなわち「神の言葉を教える」ことであると説いたのです¥。しかしルーテルはこの点で敗北をこうむりました。カトリック教会の下にあって霊的に全く顧みられることのなかった一般の人々にとって、一般祭司職とその務めはとうてい理解し得ないものであることを、ルーテルは思い知らされただけでした。ルーテルの始めた改革のこの面は、後継者に受け継がれず、それは立ち消えになってしまったのです。

 11 中央ヨーロッパのヴァルド派、英国のロラード派など、宗教改革以前に起きた運動においても、一般祭司職を復興しようと試みがありました。宗教改革以後のドイツで始まった敬虔派の運動、また現代のオックスフォード運動においても、同様な試みがある程度まで見られますが、そのいずれも明らかに神の聖霊を受けていません。それらはみな無に帰したからです。今日のルーテル教会においてさえ、事態はルーテルの時から変わっておらず、クリスチャン一般祭司職の教義は理論の上で認められても、実践されていません。

 12 それにもかかわらず、聖公会以外の新教の

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¥ 前注に同じ、一二、一八〇。

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10 (イ)ルーテルは、何がクリスチャンのおもな務めであると考えましたか。(ロ)一般祭司職の教義を再発見したルーテルは、何をしましたか。 どんな結果になりましたか。

11 ほかにだれが一般祭司職の実践に努めましたか。どんな結果をあげましたか。

[368]

牧師の多くはルーテル派をも含めて、自分たちの教会には一般祭司職があり、牧師は特別の務めのために教会員の中から選ばれた僕にすぎないと、主張します。理論的には会衆のどのメンバーも奉仕者の務めをはたせることになっています。それはアメリカに移住した人々が、「本職の」牧師の来るまで信徒の中から最も適した人を選んで牧師とし、あるいは一般に船長が乗組員と船客に対して牧師の役をつとめるのと余り変わりません。しかしルーテル派を含めて新教の教会に特別祭司職があるのは事実です。普通には、特別に任命された人でない限り、伝道したり、教会において儀式を執り行うことはできません。特別に学問的な研究をしなければ任命されないのが普通であり、また少なくても牧師の務めをしている時には他の人々と異なる衣服をつけます。例外はほとんど無く、これがあたりまえのことになっています。新教の諸教会は初期教会と同じではありません。ノルウェーのハレスビイ教授の言う如く、初期教会において「教会のあ・ら・ゆ・る儀式は、どのクリスチャンでもこれを執り行なうことができた』のです*。それで一般祭司職のことを教えながらも、実際には特別祭司職の存在していることを、新教の正直な牧師は認めています**。

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* Trosloere II, p, 390,  2nd  edition

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12 (イ)新教のある牧師は、その教会に一般祭司職があることを主張してなんと言いますか。実情はどうですか。(ロ)デンマークおよびスェーデンのルーテル・ステイト・チャーチを例にとっても、一般祭司職の存在しないことはどのように明らかですか。

 デンマーク、ルーテル、ステイト教会を規制する一九四七年のデンマークの法律によれば、平信徒は教会における通常の礼拝の際、伝道することを許されない。(Lovbekendtgφrelse nr, 456 af 23/9 1947, SS20, StK, 3.) 一九六一年、デンマークの議会の手で修正されたこの法律によると、このような場合、平信徒は牧師がその日の聖句を論じた場合にのみ、発言を許される。(Kritselight, Dagbladn 15 16/4 1961)スェーデン、ルーテルステイト・チャーチには、使徒継承さえ存在している。

** Vi er alle presten, by  Arthur  Besrg, p,  28

[:個人注:聖書の真理では無く、教会の偽りはそれ自体罪なものである。カトリック・イエズス会に使徒的な思慮深い所が在ったからと言って、それは歴史的なルーテル派内のフィリップ・メランヒトンだとか、教会内のアルミニアニズムに似たモノとなってしまうだろうとか!!キリスト教世界教会内アルミニウス主義に教皇さまの目が肯(うなず)く思想があっても、聖書の真理が最も重要なモノであると凡ての人は言うだろうとか?!!聖書の真理を伝道しないなら、それ伝道自体が罪なモノであると!!使徒信経のカトリックの(公同的の、普遍的の)教会は、三位一体と地獄ー煉獄の教会だとか!!それを受け入れているならば、伝道自体が罪なものであるとか!!カトリックが自由だとしても、それはおちおちカトリックの枠内の宗教で!!僧職者たちに支配されている教会で!!その中での枠内での自由で!!聖書の真理で無いと…!?!偽り者はそれ自体が罪な者で…?!!根本的に律法は霊的なもので、霊的な人で無いと…罪の何たるかをさえをも理解でき無いとって!!「本当の愛とは??!」って、それえいいち兄弟が、ザック兄弟を辛抱強くお祈りしてあげていたので!!メーガン姉妹がもは受け入れて居たけれども??!この世の人って??!強制させられて居たけれども??!ノア兄弟の強制で?!!誰かを罪に死に定めるって??!人殺しは自分のこうべに殺人が帰れよって??!えいいち兄弟も義人も聖なる人も考えられ無いって??!だれかをサタン??!って??!罪だ罪だって??!悪しき者だって??!隣人、人間だと思うがって??!善きサマリア人??!のたとえ話で??!「本当の愛とは」…って、愛は本当だった??!それ位、その位!]

       無益な試み

 ………

 15 ……「自発的に、また無報酬でクリスチャンの伝道のわざに働く人々は、二、三十年前に比べて著しく減ってしまった。時に応じて自由に証しをたて、また祈るクリスチャンも減少している。責任を担い、荷をよろこんで負う人を見つけるのは困難である」。とノルウェーの一牧師はその国の状態を述べています*。これを聞くと、ロマ書九章十六節が思い起こされるのではありませんか。「ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである」。(新

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15 新教の平信徒は、一般祭司職を求める声に普通どう応じますか。(ロ)一般祭司職を実践するには何が必要ですか。

[369]

'口)キリスト教国が一般祭司職を実践するために必要とするのは、初期教会の場合と全く同じくものーすなわち御霊をそそがれることです。

'      '実践されている一般祭司職ー御霊のしるし

​…………

 18 しかしエホバの証者の歴史を調べると、すべてのクリスチャンが神の言葉を熱心に教えることの重要さは一八七九年以来、理解されていたものの、初期教会のやり方にならって、一般祭司職を組織し実践する勇気と力が与えられたのは、一九一九年特に一九二二年以降のことでした。それ以来、聖書パンフレットの無料配布にとどまらず、家の人に親しく話しかけ、名目だけの寄付によって聖書の雑誌、本、冊子を配布しながら、会衆のメンバーが一人残らず

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18 何時、エホバの証者は一般祭司職を完全に実践し始めましたか。その事はどのように示されていますか。

家から家に伝道することに努力が傾けられてきました。その時からすべてのエホバの証者は、男も女も老いも若きも、子供もみな「預言」したのです。神の国の福音を全世界に宣べ伝える大きなわざの達成を援助するため、油そそがれた王なる祭司の宮における奉仕を助けたいと願う善意者の「大いなる群衆」が加えられました。昔のネテニ人とギベオン人とレビの祭司を喜んで助けたのです。ールカ、八ノ一。使行、一七ノ一七。二〇ノ二〇。黙示、七ノ九、一〇。

​ ………

 19 エホバの証者の会衆内における生活にも、一般祭司職が見られます。どの会衆にも、監督、統計、文書、金銭の管理、伝道する区域の割り当て、聖書研究の死海など、特別な奉仕をする人が初期教会の仕組みにならって任命されていますが、その人々は兄弟に仕える僕であって、これらの人々が牧師、他の人々が一般信徒になっているのではありません。会衆の集会において、出席しているすべての人が討議に参加します。また奉仕者である以上、能力のある男子の成員ならば誰でも葬式、バプテスマ、結婚式、年に一度の主の死の記念式を取り行なうことができます。すべての人に与えられる適宜な訓練を受けてのち、資格あるすべての男子は、演壇から教え、伝道することを割り当てられます。奉仕者の会衆において教えられる事は多岐にわたるため、教えたり伝道する能力に応じて

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19 一般祭司職は、エホバの証者の会衆にどのように見られますか。

[370]

さまざまな割り当てがあり、従って前述の事が可能になるのです。このようにして初期教会におけると同じく、「どのクリスチャンもすべての儀式を執り行うことができ」ます。-ピリピ、一ノ一、テモテ前、二ノ一二、エペソ、四ノ一一ー一三。



  

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